発達障害者が料理をする、自ら進んで作るようになったきっかけは?

生活のことなど

「広汎性発達障害(自閉症スペクトラム)」と「軽度知的障害」の娘はチャレンジ雇用で通っている職場に自分でお弁当を作って持っていきます。

最近は私も家にいますし、娘も仕事で疲れて帰って来るのであまり作らなくなりましたが、以前は夕飯の支度もよくしていました。

食材を買いに行って料理を作る工程は、障害改善の訓練にも役に立ってるようです。

娘がどういったいきさつで料理を作るようになったのかお話ししていきます。

 

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はじめは妹にくっついて料理を覚えていった

 

はじめに料理に興味があったのは妹の方でした。

小学校の2~3年生になると、私がキッチンに立っていると、興味深げに近づいてきてじっと料理が出来ていく様子に見入っていて、そのうちに「やらせて」というようになり、ちょっとずつ手伝うようになりました。

 

でも、実はここまでに私の知らない事実が隠されていました。

 

次女が2~3歳の頃は私が体調を崩していた時期でもあり、まだ幼稚園に行ってなかった次女はひいばあちゃん(おとうさんの祖母)のところによくあずけられていました。

ひいばあちゃんと言っても、広い庭で畑を耕してよく動きよく働く元気なおばあちゃんです。

 

ひいばあちゃんの家には子供が遊ぶようなものは何一つ置いていませんでした。

「ひいばあちゃんのお家でなにして遊んだの?」

と聞いたらいつも

「ひいばあちゃんとお散歩」とか「葉っぱでままごと」

と答えていました。

 

しかし、本当はリアルなままごとをしていたのです。

遊び道具がないのでひいばあちゃんに、おままごと用に古くなって使わなくなった食器をもらっていてそれで遊んでいたようです。

古くなっているとは言え実際に食卓で使っていた食器です。

リアリティーのあるおままごとに子供が興奮しないはずがありません。

ひいばあちゃんの家でのおままごとはどんどん発展していって、ひいばあちゃんにまな板の代わりに板切れをもらって

「絶対に手を切らないように気を付けてね、おかあさんやおばあちゃんには内緒だよ」

と念を押されて普段台所で使っている包丁を貸してもらっていました。

 

2~3歳の子供に包丁・・・ひいばあちゃん・・・・・ワオ!!

 

そして、ひいばあちゃんが庭の畑で作っている野菜のきれっぱしをもらって、おままごとの材料にして遊んでいたのだそうです。

なんて楽しそうなおままごとなんだろう!!

包丁で指を切ったこともあって、ひいばあちゃんは

「これはススキで切ったことにしようね、絶対に包丁で切ったって言ったらだめだよ」

と念を押して絆創膏を貼ってくれたのでした。

 

次女はひいばあちゃんとの約束をしっかり守って秘密を守り続け、このことを教えてくれたのは大きくなってからでした。

通りでその頃はやたらとひいばあちゃんの家に行きたがっていたはずです。

 

次女が料理に興味をもってやりたがっていたのは、2~3歳の時の体験がきっかけだったのかもしれません。

平日はスポーツ少年団や習い事で忙しいので、日曜日になると次女とお父さんとでキッチンに立つようになって、二人で楽しそうに料理を作っていました。

それを見た長女が一緒にやりたくなったようで、普段あまりキッチンに立つことのない三人が「あーだこーだ」言いながら料理を作っていました。

 

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残業で帰りが遅くなるのが我慢できなくなる

 

長女が高校1年生で、次女が中学1年生の時に離婚して、生まれ育った土地を離れて三人で引っ越ししました。

それまで専業主婦だった私は、慣れない仕事に行って生活を支えるようになります。

しかし、長女は高校の入学式に行った翌日には学校に行けなくなってしまいました。

その後を追うように次女も学校に行けなくなります。

 

その頃の私の仕事は営業事務で、一緒に仕事をしている営業の人に頼まれた残業で帰りが遅くなる事がことがありました。

休日になるべく買い物を済ませ、仕事が終わってからささっと作れるメニューにして準備していましたが、やはり残業してから自宅に帰って来て晩ご飯の準備をするとなると食べるのはずいぶん遅い時間になってしまいます。

 

ある日、娘たちに残業で遅くなると連絡を入れて仕事をしていたら、しばらくして次女から電話がかかってきました。

「おかあさん、今日の晩ご飯は何を作るつもりなの?」

と聞いてくるので「こういった材料で、こんなものを作るつもりでいるよ」

と返事したら、次女は

「わかった、お姉ちゃんと一緒に作ってみる」

と言ったのが始まりでした。

 

それからは残業がなくても仕事から帰ると晩ご飯が出来ているようになっていました。

学校に行かずに毎日家にいて、どこにも出かけられないとなるとかなり時間を持て余して、なにもしないで過ごす昼間の時間が苦痛になっていたのではと思われます。

学校に行っていないのにこんなことをしていていいのかな?と思ったりもしたのですが、私も仕事から疲れて帰ってから晩ご飯の支度をするのが大変だったし、娘たちも学校に行かなければと思っているのに、どうしても行くことができない苦悩を紛らすことができるようなので、ありがたく晩ご飯を作ってもらうことにしました。

 

二人で知恵を寄せ合って試行錯誤して作っていましたが、調理経験の少ない二人ではメニューがワンパターンになってきました。

そこで、料理の基本中の基本のメニューの載っているレシピ本を買ってきてそれを見て作るようになると、食卓もだいぶ華やいできました。

もう10年近く前に買った本なのでよれよれになっていますが、今でも時々使っています。
肉じゃがやハンバーグなどの基本の料理の作り方が全て写真付きで解説してあって、ガスの火加減も絵で説明してあるので、一目で作り方がわかるようになっています。
巻末に食材の切り方や下ごしらえの仕方も載っているので、料理初心者に親切なレシピ本です。

 

三人で食べながら味の感想を言ったり、作り方のおさらいをしたり、次に作りたいものの計画を立てたりして食事の時間は料理の話題でいつもにぎやかでした。

 

基本のおかずの作り方が、写真入りで説明しているのでお勧めです。

料理はマルチタスク 障害を改善する訓練になる

 

料理を作るときもリーダシップを取るのは次女のようでした。

次女が

「おかあさん、お姉ちゃんは1個ずつしか作業しないから作るのの効率がすごく悪いんだよ」

と言ってきました。

無理もないです。

広汎性発達障害も軽度知的障害も複数の作業を同時に進めて行くのが苦手なのですから。

そう次女に説明して「お姉ちゃんにはひとつの作業に集中してもらうのがいいんだよ」

と話したら「ふうん、わかった」と言ったのでした。

 

しばらくすると長女が

「おかあさん、私今日ね、肉じゃがを煮込みながら同時にサラダを作ったんだよ、同時に作るとすごく早くできるよ!」

と嬉しそうに報告してきました。

「いつの間にそんなことできるようになったの?!」

と驚きました。

次女が長女につきっきりで効率の良い料理の作り方、料理のマルチタスクを教えていたのでした。

 

大人は初めから「こういうものなんだ」と決めつけてかかるけど、子供のやわらかい考えは思いもよらぬ結果を生み出してしまいます。

長女はややこしいことをさせようとすると、パニックを起こして怒ってその場から逃げ出してしまったりするので、次女がどうやって二つの作業を同時にできるように教えたのだろうと感心してしまいました。

次女は

「ものすごくおだてて調子にのせてやってもらった」

と言っていました。

大人の命令的な口調よりも、子供同士の方がすんなりと受け入れられるのかもしれません。

 

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学校に行けなくても晩ご飯は作る

 

長女と次女とで二人で晩ご飯を作ったのは3か月くらいしかありませんでした。

不眠症になっていた次女の睡眠が安定してきたので、次女は産まれ育った島に帰っておばあちゃんの家から友達がいる中学校に転校することになりました。

 

次女がいなくなったら長女が一人で晩ご飯を作るようになりました。

3か月の間に二人で作っていたことでたくさんのことを覚えて、試行錯誤しながら一人で晩ご飯を作って私の帰りを待っていました。

 

知らない土地に引っ越してきて、そこで新たに生活をしながら慣れない仕事をするとなると、私自身いっぱいいっぱいで毎日を送っていたので、帰宅すると晩ご飯ができている暮らしはずいぶん助かりました。

長女も学校に行くことができなくて、後ろめたい気持ちがあったと思うのですが、役割を与えられて家族の役に立つことで、引きこもっていることに対して家族の中では引け目を感じなくて、普段通りに過ごせていたのではと思われます。

家の中だけでも自分が存在していることに意味があることを感じられたのかもしれません。

この時に意識して晩ご飯作りの役目を与えていたわけではありませんでした。

いつの間にか、お互いにどうしたら負担なく生活ができるのか考え合った結果、自然にこんな形になっていました。

 

高校(特別支援学校)を卒業するまでとうとう学校には行けなかったのですが、家に引きこもっていた3年間は決して無駄ではなかったと思っています。

 

ものごころついたときからずっと、なにをやっても周りの子のように上手くできないし、必死で頑張っているのにやっとなんとか追い付くくらいしかできない。

それだけ頑張ってもなかなか認めてもらえずに、いじめられたりからかわれたりする。

限界がきてしまって学校に行けなくなってしまったので、3年間の引きこもりは心をいやすための必要なお休みだったのです。

その間に自分で食材を買いに行って、そこから料理を作っていくことを覚えられました。

たくさん休んで元気をチャージできたから、昼夜逆転の生活を改善すると自分から言い出して、家を離れてグループホームで生活しながらB型事業所に行けるようになったのだと思っています。

 

家族がお互いを信頼して相手を信じる

 

長女の高校進学に合わせて引っ越して3人の生活を始めたのですが、長女の選んだ高校に行くためには生まれ育った島を離れる必要がありました。

その時に広汎性発達障害の診断をしてくれた小児科の先生に

「寮に入れて娘さんを一人で生活させるよりは、おかあさんも一緒について行った方がいいです。一緒に生活をして料理や洗濯、掃除などの家事を教えることがこの人の将来ために役に立ちます」

とアドバイスされていて、この時は離婚して実家に身を寄せていたので、この機会に実家を出て長女の学校の近くに3人で引っ越したのです。

その時は小児科の先生に言われたことがあまりピンときていませんでした。

今になってみると、あの時のアドバイスの大切さを実感できます。

結局選んだ高校には行けなくなったものの、あの時に一緒に引っ越して一緒に生活して本当に良かったと感じます。

 

【学校に行ってなくても家事をすることで家族の一員であることが意識できて、見守っていることを感じてもらう】

 

この時は意識してこういったことを行っていたわけではありません。

ただ毎日を送るのが精いっぱいで「なるようになる」くらいにしか考えていなかったです。

お互いに相手のことを思いやり、相手を信頼して信じ続けて自然にたどり着いた結果でした。

 

親だから子供に~させなければならない・・・

しかし、親から言われて行動してもなかなか自分の身に付かないものです。

子供が自発的に動くまで信じて待ってあげる。

親ができるのは環境を整えてあげること。

親子であっても家族の間でもお互いを信頼して相手を信じる気持ちが大切だと感じています。

 

おまけ

 

私が連日、次女の引っ越しや掃除で忙しい時に、長女が晩ご飯を作ってくれました。

 

なにやらブリと小松菜を漬け込んでいます。

小松菜をきっちりと葉っぱと茎に分けているところは、さすが几帳面です。

ブリの照り焼きと、小松菜のお浸しと、お味噌汁を作ってくれました。

 

細かいアドバイス付きでとてもわかりやすいです。

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