発達障害ときょうだい児の二人の娘が、二回の不登校を乗り越えた方法

まとめ記事

 

広汎性発達障害と軽度知的障害の姉と、きょうだい児である妹は、二人とも小、中、高校と二回の不登校を経験しました。

現在は、姉は障害者雇用の一般就労で働き、妹は地方公務員として社会に出て働いています。

二人に共通していたことは、学校に行かないといけないと分かっていたし、どうにかして行きたいと思っていたけど、どうしても行けなくなってしまい、家の中に引きこもって自分を守っていたことです。

そんな時に周りは、家族はどうしたのかお話していきます。

 

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なぜ、私が学校に行けない娘たちの気持ちが理解できたのか

 

学校に行きたくても行くことができなくて葛藤する子供の気持ち。
この気持ちを理解して、娘たちに寄り添って一緒に考えられたのは、実は私自身も不登校をした経験があったからでした。

 

 

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発達障害者の進路は?無理をしすぎて学校に行けなくなる

 

広汎性発達障害と軽度知的障害の長女は、小学校は全校生徒30人ほどの小規模校の普通学級で過ごしました。

中学校への進学は、特別支援学級に籍を置きながら普通学級で過ごす選択をしましたが、クラスメイトにからかわれて学校に行けなくなってしまいました。

 

 

 

朝起きれずに、布団から出てこれなくなった長女に、私は枕元で「このまま学校にいかないと将来が心配だ」とか「社会に出てもいじめられたりからかわれたりするのだから、強く生きて欲しい」などと延々と説教をしていました。

受け入れられなくなった長女は、頭からすっぽりと布団をかぶって拒絶したのでした。

そんな時に特別支援学級の先生が取った行動とは?

 

 

 

中学校は特別支援学級で過ごした長女は、高校は「好き」を生かして、普通高校のマルチメディア科へと進学しました。

でも、慣れない環境に対応できずに、再び学校に行けなくなってしまいます。

そこで、特別支援学校へ編入することに決めたのですが、思いがけない事態が起きたのでした。

 

 

 

特別支援学校に無事に編入したのですが、「ここなら安心して通えそう」と思ったのもつかの間、特別支援学校にも行けなくなってしまいます。
その時はどうして行けなかったのか原因が分からなかったのですが、ここ最近障害者の施設を利用してみて、軽度知的障害者には居場所がないのでは?と思い至ったのです。

 

 

 

学校に行けなくなった子供に対して、親としては「なんとか頑張って乗り越えて欲しい」と望むと思います。

でも、一番初めにすることは、どうして行けなくなったのかを考えることと、学校に行けなくなってしまうまで傷ついてしまった心のケアなのです。

自分で立ち上がることを信じて、子供を信頼して見守って、おうちの中だけでも居心地のいい場所にすることが大切かなと感じました。

 

きょうだい児である妹が不登校になる

 

きょうだい児である次女が、発達障害である姉とは全く違った問題で学校に行けなくなってしまいました。
当初は「友達との関係」「出来たことを認めてもらえなくて自信をなくした」「家庭の問題」が原因だと思っていました。
ここ最近、次女と当時のことを話していたら、他にも原因があったのでは?と考えるようになりました。

 

 

 

学校に行けなくなった次女は「学校と距離が離れてしまうと、二度と登校できなくなる。一分でもいいから保健室に来てください」と言われて、保健室に登校するようになりますが、不登校は悪化していきました。
我慢を重ねて学校に行けなくなった次女に必要だったのは、安心できる場所でゆっくりと休むことでした。

 

 

 

せっかく学校に行けるようになった次女は、中学への進学の際に、家庭の事情で転校することになり再び不登校になってしまいます。
2回目の不登校を乗り越えられたのも、自分で前の学校の友達が通う中学校に、転校を決めたからでした。

 

 

 

 

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