2回目の不登校解決のきっかけは、前の学校への転校を自分で決めたから

不登校

 

小学校5年生の時に、1年半の不登校生活を送った次女は、自分から転校を決めたことで、学校に行けるようになりました。

しかし、中学校への進学は、家族の都合で転校することになり、再び学校に行けなくなりました。

2回目の不登校の解決のきっかけも、次女が自分から、前の小学校の友達がたくさん通う中学校に、転校することを決めたからでした。

 

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1回目の不登校を克服できたのは、自分の意思で転校したから

 

次女は小学4年生の時に、クラスの子から無視をされたことがきっかけで不登校になりました。

学校に行けない期間が1年半ほど続きましたが、5年生の終わりごろに、父親と別居したことがきっかけで、私の実家に住むことになりました。

別居して一か月経った頃に、次女が自分から実家の近くの小学校に転校したいと言い出しました。

 

校区外の学校でしたが、元の学校、転校先の学校、教育委員会にも納得してもらって、転校することができました。

転校するとすぐに友達ができて、今まで不登校していたことが嘘のように、楽しく学校に通えるようになりました。

 

 

 

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せっかく学校に行けるようになったのに、転校しなければならない

 

小学5年生の終わりごろに転校した次女は、6年生までの1年と少しの間、友達に囲まれながら部活動も積極的に行って、充実した学校生活を送っていました。

転校する前の学校は、少人数の小規模の学校だったので、部活動の選択肢がなくて、本当に好きな事がやれずにいました。

少ない人数のため、クラス替えもなかったので、親友と呼べる友達もできませんでした。

転校した学校では、気の合う仲間と、やりたいことができる環境を満喫していました。

 

そんなころ、発達障害を持つ3歳上の長女の高校進学が近づいていました。

地元の高校に進学するのが難しいと判断して、島の外の高校に進学することにしました。

前々から、長女の通う小児科の先生に、島外の高校に進学するなら、おかあさんも一緒に行って生活した方がいいとアドバイスされていました。

次女もそのことは知っていましたが、まだ現実的には考えていないようでした。

 

私も、1年間の別居生活の末、離婚することになり就職先を探していましたが、田舎ではなかなか働き口が見つかりそうにありません。

長女の進学先の大きな街に引っ越して、就職したいと考えていました。

でも、せっかく学校に行けるようになって、友達もたくさんできて、やっと楽しい学校生活が送れるようになった次女に、引っ越しを告げるのは残酷な事でした。

 

どうしたいのか自分で決めて

 

長女が島外の高校に進学すること、小児科のアドバイスでもあり、おかあさんもここでは仕事が見つからないから、お姉ちゃんと一緒に引っ越ししようと思ってることを次女に話しました。

次女には3つの選択を提案しました。

 

  1. おかあさんとお姉ちゃんと一緒に引っ越して、新しい中学校に転校する。
  2. おとうさんのところに帰って、おとうさんの家から地元の中学校に進学する。
  3. このままおばあちゃんの家に残って、ここから中学校に通う。

 

ちなみに、2つ目と3つ目を選択しても同じ中学校に進学して、小学校の仲のいい友達と一緒の中学校に通うことになります。

「どの選択もイヤだ!!」

と次女は泣きじゃくりました。

「お姉ちゃんが一人で寮に入って高校に行って、おかあさんがここで仕事を探して、私と一緒にいることはできないの?」

 

発達障害の長女が、慣れない環境で、知らない人の中で一人で寮生活をするのは、難しいと思われます。

新しい環境に馴染むのに時間がかかるし、初めての場所は一緒について行って、行き方を何回か練習しないと、パニックを起こして動けなくなる心配があります。

長女も、中学校で不登校を経験していますので、近くでメンタル的に支える人が必要だとも考えられます。

 

私も、ずっと専業主婦だったので、子供を育てるだけの収入を得ようと考えたら、田舎ではなかなか仕事が見つからないのです。

それなので、次女の望む提案は、私の選択肢にはないのです。

 

散々泣いて、散々考えて、次女は1つ目の選択肢の、私やお姉ちゃんと一緒に引っ越すと決めました。

次女には三つの選択肢を与えて、自分でどうするか決めてもらった・・・

といっても、どの選択肢にも次女が望む選択などなく、結局家庭や周りの都合に合わせた選択しかできませんでした。

 

私も、できることならみんなが望む方法を選びたいのですが、全員が思い通りになる方法はなくて、みんなが少しずつ我慢をしながら納得していくしかないのです。

でも、やっぱり一番我慢をしていたのは次女だったのです。

 

再び不登校になってしまう

友達の輪の中に入れない

転校先の中学校は、3つの小学校から生徒が集っていました。

新一年生で転校してきた次女は、他の2つの学校から来た生徒だと思われて、全く違う地域から転校してきたことに気づかれにくい状況でした。

それでも、クラスの子や、近所の子と少しずつ親しくなりつつあるようにみられ、小学校の時から続けていた部活動にも励んでいました。

 

ある日曜日には

「友達と映画を観に行くんだよ、ここでは友達と休みの日の待ち合わせが映画館なんだよ、すごいでしょ」

と楽しそうに出かけて行きました。

それまで生まれ育った場所には、映画館などの娯楽施設が全くありませんでした。

それなので、休日に友達と遊ぶとなると、公園で本気の全力鬼ごっこをしたり、浜辺を駆け回ったりしていました。

 

でも時折、

「友達の中に上手く入っていけない、孤独になる」

とこぼしていました。

遠い地域から転校したことは知ってもらえたけど、ほとんどの子は同じ小学校からのグループで固まってしまい、その中に入っていくのが難しいようでした。

 

夜、眠れなくなってしまう

そんなある日の夜のこと

「学校に行くのが辛い、孤独に耐えられない、休み時間をどうやって過ごしたらいいか分からない」

と訴えてきて、夜中までずっと話し合いました。

「なんとかもう少し頑張ってみれば、だんだん距離が近づいてきて、気が合う友達が見つかるかもだよ」

 

一回目の不登校の後で転校した小学校で、あんなにたくさんの友達が出来たのだから、もう少し時間をかければ、大きな中学校だから、気持ちを許せる人とそのうち出会えるのではないだろうか?

そう話してみましたが、結局明け方まで泣きじゃくって、そのまま疲れて寝てしまい、その日は学校には行けませんでした。

 

それから、お昼過ぎに起きてきて、その日の夜も眠れずに、眠りにつくのは明け方になってしまい、そのまま昼夜逆転の生活が始まりました。

 

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昼夜逆転は改善されたが・・・

 

それから、入院や通院により、昼夜逆転の生活が改善され、ちゃんと夜に眠れるようになりました。

そのまま夏休みに入り、昼間仕事に行っている私の代わりに家事をしたり、テレビを見たりゲームをしたりして気ままに過ごしていました。

家の中ではすっかり明るさを取り戻し、学校に行ってないことを忘れているのではないか?とまで想えるようになっていました。

本人も「まあ、夏休みだしね」と開き直っているようにも見えました。

 

夏休みが後半に入った頃

「二学期からは学校どうするの?」

と聞いてみました。

次女は、しばらく考えてから

「島に帰りたい、おばあちゃんの家からみんなのいる中学校に行きたい」

やっぱりそうか・・・という感じでした。

 

転校してたった1学期間で帰ったら

「また不登校になったんだ、それで帰ってきたんだ」

と噂されて注目されるよ、それで大丈夫?耐えられるの?

と聞いたら

「大丈夫、友達がいるから・・・」

 

「おかあさんや、おねえちゃんと離れ離れになっても大丈夫?」

「我慢する・・・」

次女の決心は固いようでした。

 

おばあちゃんの家に引っ越して地元の中学校へ転校する

 

夏休みが終わる前に、転校したい意思をその時に通っていた中学校に告げました。

それから、元住んでいた地域の教育委員会、転校を希望している中学校と連絡を取りましたが、どちらも問題なくスムーズに転校の話し合いが進んでいきました。

おそらく、小学校の時に、転校して不登校を改善した経験があることと、学校に行けるきっかけになった友達のいる中学校への転校だったからだと思われます。

 

次女と一緒に島に帰り、転校先の中学校に挨拶に行きました。

まだ夏休み中でしたが、部活動に来ている生徒がたくさんいました。

その中に親しくしていた友達がいて

「なんで○○ちゃんがいるの?」

「マジ?帰ってくるの?!ヤッター!!うれしいー!!」

飛び上がりながら抱き合う姿を見て、一人で帰っても大丈夫だね、と確信しました。

 

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こんどこそ自分で決めた

 

次女に三つの選択肢を与えて、自分でどうしたいのか決めてもらった時、

「本当は転校したくない、このままここに残って友達と同じ中学校に行きたい」

と考えたのだろうと思います。

でも、親や姉妹と離れて一人で残る勇気がなかったのでしょう。

しかたなく、家族と暮らすために転校を決めたのだと考えられます。

 

でも、転校先で友達が作れなくて、学校に行けなくなって、やっと

「親と離れてもいい、友達と一緒にいたい」

という気持ちに気がついたのだと思います。

 

結局、私の実家でおばあちゃんと一緒に暮らしながら、3年間の中学生活を送りましたが、いくらおばあちゃんが好きでも、親が近くにいないことで、不便だったり、淋しかったりしたのだろうと想像できます。

それでも、自分の意志で、自分で決めたことで、友達もに助けてもらいながら乗り切ってきました。

 

この時に自分で決断したことが、この先の進学や就職に繋がっていると感じています。

 

再び学校に行くために大切なこと

 

一度、登校できなくなって不登校になってしまうと、前の学校に再び登校するにしても、転校するにしても、学校ではない別の選択をするのしても、とても迷うし、決めるのに勇気が必要になります。

どんな選択をするにしても、子供自身が自分で考えて決断できたら、そのあとの困難も乗り切れる可能性が大きくなるのではと思われます。

 

子供が自分の力で、落ち着いて選択するためには、まずは安心できる環境が必要になります。

不登校の子供の親ができる一番のことは、安心して過ごせる家庭環境を作ることが大切だと感じています。

 

 

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