就労継続支援B型事業所で就労の訓練を受けていた娘が、グループホームを出て自宅に帰ってきて、就労移行支援事業所で就労のための訓練を受けることになりました。
自宅に帰って来て、新たにかかりつけになった精神科でWAIS-Ⅲ(ウェクスラー成人知能検査)を受けるように勧められました。
検査の結果、全検査IQ:65で軽度知的障害域に該当することが分かりました。
WAIS-Ⅲ(ウェクスラー成人知能検査)を受ける
ウェクスラー成人知能検査(ウェクスラーせいじんちのうけんさ、Wechsler Adult Intelligence Scale、略称WAIS、ウェイス)は、16歳以上の成人用に標準化された、ウェクスラー・ベルビュー知能検査(1939年)の改訂版として、1955年2月に出版された、知能(IQ)を測るための一般的な検査である。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
検査にかかった時間は3時間くらいでした。
後日、検査結果を聞くために再度病院を訪れたのですが、次のような説明を書かれた紙を渡されました。
あなたは、苦手なことと得意なことに多少差があるようです。
【少し苦手なこと】
あなたが少し苦手なこととしてあげられるのは、「複数のことを同時にすること」と「相手がどう思うか想像すること」です。
(中略)
これらの特徴があることで人から誤解を受けたり、知られると立場が悪くなるようなことも話してしまったり、人とかかわるときのちょうどいい距離感が分からなくて困ったことがあったかもしれません。
しかし、あなたは集中力があり真面目で、教えてもらったことをきちんと実行することができる方です。
1つ1つを丁寧にパターン化して覚えて行けば、できることが今よりもっと広がると思います。
【得意なこと】
あなたが得意なことは「パターン化したことを覚えること」と「見たことを順序だてて物事をかんがえること」です。
この2つのことが得意なので、苦手なことでも「このときはこうすればいい」というパターンをたくさん覚えることができるので、練習すれば乗り越えることができると考えられます。
また、「見たことを順序立てて物事を考える」ことも得意なので、いくつかのパターンから、自分なりに考えて適切な反応をとることも上手なようです。
・・・全部分かっていることでした。
広汎性発達障害と診断を受けた時にこういった説明を受けています。
それからも、何度も何度も失敗を繰り返しながら少しずつ人とのかかわり方を覚えていきました。
「こういった場合はどういう声掛けをすればいいのか」「こういう風に言われたらどう答えるのか」
何度も失敗を繰り返しては、パターンを覚えて少しずつ人との関わっていくことで、人の気持ちも理解できるようになりました。
目からの情報で物事を考えたり覚えたりするのは得意です。
何かの説明をするときは、実際に目の前でやって見せるとすぐに同じように再現できます。
言葉で説明するよりも、目に見える形で説明したり、実践しながら説明するとどんどん吸収して、自分で次の段階を探し出すこともできます。
3時間かかって検査を受けましたが、これといって新しい情報は得られませんでした。
詳しい検査結果を求めることにした
その後WAIS-Ⅲがどういった目的で行われる検査なのか知る機会がありました。
WAIS-Ⅲを受けると「言語性IQ・動作性IQ・合成得点による全検査IQ」という3つのIQを知ることができ、「言語理解・知的統合・作動記憶・処理速度」の4つの項目の得意、不得意のばらつきを見ることで、発達障害の度合いが分かるということです。
広汎性発達障害について書かれている本を読んだり、広汎性発達障害の人の体験談を聞いたりして、娘の広汎性発達障害から来るこだわりやパニックはそれほど強くないことが分かり、広汎性発達障害自体ですごく困って悩むこともそれほど多くはありませんでした。
それなので、広汎性発達障害自体はそれほど問題ではなくて、他の人と少し違っていることで周りから理解をしてもらえないことや、コミュニケーションをうまく取れないことで悩んでしまって、精神的に参ってしまう「二次障害」で困っていると思っていました。
そういった悩みが数値ではっきりとわかると、悩みに対して対策が取りやすいのではないかと思い検査結果を数値で知りたいと思いました。
ちょうど、就労移行支援事業所で紹介してもらった、公共機関のチャレンジ雇用で期限付きで働くことが決まったので、就労に向けてどういったことに気をつければいいのかがより具体的にわかるのでは?と思い、検査を受けた病院に数値の分かるより詳しい検査結果を教えてもらえるようにお願いしてみました。
数値の分かる検査結果を教えてもらうことになり、娘と二人で再び病院を訪ねました。
臨床心理士から詳しい説明の書かれた紙を渡され、説明を受けながら目を通すと、衝撃的な文字がまず目に飛び込んできました。
~全検査IQ:65→軽度知的障害域に該当~
と書かれていました。
産まれた時からずっと成長を見てきているので、知的レベルはそれほど高くはないだろうと予想はしていました。
1歳ぐらいから成長が少し遅れつつあることに気が付き、ゆっくりと他の子の後を追いかけるように成長してきました。
はじめからは上手くできないことが多かったのですが、時間をかけてゆっくり丁寧にやらせるとちゃんとできるようになるので、のんびりと成長をしていく子だと思って接してきました。
幼稚園の年長さんくらいにひらがなの読み書きを教えても、それほど早く飲みこみはしなかったものの、小学校に上がる前にはひらがなを読んだり書いたりはできるようになりました。
足し算や引き算も、おはじきを使って教えるとちゃんと理解できるようになりました。
小学校に上がっても、授業について行くのが必死で、宿題をするのに時間がかかったりしましたが、それでもなんとか後ろの方から追いかける形でついて行っていました。
確かにできないことや苦手なことが多くはありましたが、知的障害と言われるレベルだとは全く考えたことがありませんでした。
私の学生時代も、クラスに勉強の苦手な子は何人かいましたが、知的障害ではなかったようなので、娘も単なる勉強が苦手な子、習得するのに時間がかかる子だと認識していました。
でも、昔は障害に対しての認識が甘くて、障害を抱えているのが分からずにそのまま大人になってしまい、福祉制度が受けられずに苦労をしながら社会生活を送っている人がいるのも事実です。
発達障害者支援センターで診断がもらえなかった
小学校の高学年になる頃から、周りの女の子たちがコミュニケーションを取るのに、より会話を楽しむようになりだしていくのに、娘は自分の興味のある話題だけを繰り返して話すので、クラスメイトに嫌がられるようになり次第に仲間に入れなくなりました。
相手が嫌がっていることも理解できないし、会話のキャッチボールもできなかったので、担任の先生から「発達障害かもしれないですよ」と言われました。
発達障害と言う言葉を聞いたのは初めてで、インターネットで調べてみると娘の特徴がいくつも当てはまって、今までの娘の不可解な行動は障害のためなのかもしれないと思えるようになりました。
小学6年生の時に、発達障害者支援センターで検査をすることになりました。
離島に住んでいたので、予約の時間に間に合うように早朝に出発する高速船を利用して、発達障害者支援センターに向かいました。
「検査には時間がかかります」
とあらかじめ教えられていたので、夕方の高速船に間に合うように早朝に家を出て、周囲には食事をするところもお店もないと聞いていたので、コンビニでお弁当を買って行って検査に挑んだのでした。
問診を済ませて娘だけが検査に向かって行き、しばらくは帰って来ないと思っていたのですが、1時間ほどで帰って来て医師からの説明を受けることになりました。
問診をした医師が娘に私の前で国語の教科書を読ませました。
娘はいつものように何度も引っかかりながらたどたどしく、でも大きな声で国語の教科書を読み上げました。
そして医師が私に向かって
「これだけちゃんと教科書が読めないようなら、友達と会話することは難しいのではないですか」
と鼻で笑って言い放ちました。
わざわざ離島から朝早く出かけて行って、説明されたのはこれだけでした。
とても寒い日でした。
まだ寝ぼけている娘を起こして車に乗せ、高速船の狭い客席で食事をするのを娘が嫌がるので、港までの30分の移動中にまだ夜が明けていなくて暗い時間、寒い車の中で冷たいパンをかじってきたことがなぜか思い出されて悲しくなりました。
発達障害支援センターを出るときに、女性の職員から
「支援センターが開設されてまだ3ケ月しか経っていなくて、体制が整っていなくて申し訳ありません」
と謝られました。
平成17年に発達障害支援法が施行されて1年が過ぎたころのことでした。
発達障害者支援センターを出て、買っておいていたお弁当を食べるためにバスに乗ってショッピングモールに向かい、ベンチに座って冷たいコンビニ弁当を広げようとしました。
周囲には食事ができるお店が何軒も並んでいて、温かい食べ物のおいしそうな匂いが漂っていて、冷たいコンビニ弁当を広げるのが情けなくなりました。
思わず娘に
「おいしそうなお店がたくさんあるね、また冷たいもの食べるのイヤだね。お弁当捨ててしまおうか」
と言ったら娘に
「おかあさん、そんなもったいないことしたらダメだよ」
注意をされました。
私は、診断を受けて精神的に気持ちが楽になると思っていた期待が外れて、医師から冷たい態度を取られて、寒い日に温かい食事を提供するお店が並んでいる近くで、冷たいお弁当を食べることでますます気持ちが落ち込んでいったのです。
しかし娘はいつもと変わらずに、しっかりと「食べ物を粗末にするのはいけないことだ」と指摘をしてくれて
「そうだね、今までもこれからもいつもと変わらないね。いつもどおりでいいよね」
と思えたのでした。
娘を障害者にしようとは全く思ってはいませんでしたが、娘の奇行は学校だけではなく、家庭や親せきが集ったりしたときにも頻繁に見られたので、どう対応していいのか全く分からずに困っていました。
自分の娘がおかしな言動をする、恥ずかしいから辞めるように言い聞かせても全く聞いてもらえない。
もどかしくて強く叱る時もなんどもありました。
「これらのことは全部障害のせいだった」
そう言われると納得がいくし、娘に対する対応も変えられると思えます。
まずは本人がどうして友達が離れていくのか理解できるようになって、一人で悩むことも減ったら少しは楽になるかなと思われます。
これからどうしたらいいのかアドバイスをもらえることも期待して検査に臨んだのでした。
発達障害者支援センターには二度と行くまい、これからは自分でなんとかしようと考えました。
今回、軽度知的障害の診断を受けて、あの時の医師の言葉を思い出しました。
あの時にはすでに知的障害の疑いがあったのではないか?
あの後、知的障害の検査を受けていればもっと早く軽度知的障害であることが分かって、それなりの対応もできたのではと思うのでした。
再び発達障害者支援センターへ
目で見たことを再現するのが得意なので、パソコンなどの操作は言葉で説明しても理解が難しいのですが、一度目の前でやって見せるとすぐに同じことを再現して、覚えたことは忘れずに操作出来ました。
高校進学はどうするのか?
と考えていたら、広汎性発達障害と診断した小児科の先生から
「得意な事や好きな事なら集中して取り組むので、そういった面を生かしましょう」
と言われて、島を離れてマルチメディア科のある高校へ進学することにしました。
小児科の先生のアドバイスで
「寮生活をするよりはおかあさんが一緒に生活をして、掃除、洗濯、料理などの家事を覚えさせることが大切な訓練になります」
と言われて、ちょうど別居して実家に親子三人で居候していたので、この機会に高校の近くに親子三人で引っ越しすることにしました。
しかし、娘は入学式の翌日から高校に行けなくなり、留年したことから特別支援学校の高等部に編入することになりました。
特別支援学校に通うのに電車やバスで通うのですが、学校のアドバイスで障害者手帳を取得して、障害者の運賃が免除になるICパスを使って、料金の積み増しなどの通学の負担を減らすことにしました。
そのためには障害者手帳を取得しなければいけません。
以前に発達障害者支援センターを訪ねてから5年経っています。
あれから更に困りごとは増えているし、センターの状態も落ち着いてきているだろうということで、再び発達障害者支援センターで検査を受けることにしました。
検査に4時間以上かかって、障害者手帳をもらうことができました。
娘のもらった手帳は療育手帳でした。
この時は恥ずかしながら療育手帳を取得したことの意味がよくわかっていませんでした。
センターから障害者手帳の種類や、療育手帳はどういった場合にもらえる手帳なのかの説明もなかったので、広汎性発達障害でもらえた手帳だと思っていました。
障害者手帳には、「身体障害者手帳」、「精神障害者保健福祉手帳」「療育手帳」の3つの種類があります。
療育手帳は知的障害がある人のための手帳ですが、広汎性発達障害の場合は知的障害が伴っていないと療育手帳の取得はできなくて、精神障害者保険福祉手帳が発行されます。
なので、この時の検査ですでに軽度知的障害と分かっていたはずなのですが、そういった説明もなくて私も知的障害の可能性は全く考えていなかったので、問い合わせることもしなかったのです。
発達障害、知的障害という診断名について
WAIS-Ⅲの検査の結果、IQが65とわかったのですが、言語性IQと動作性IQにもあまり大きな差がなくて、言語理解、知的統合、作動記憶、処理速度の群指数にもそれほど差が見られませんでした。
となると、中学生の時に診断された広汎性発達障害はなんだったのだろう?
となるのですが、臨床心理士の説明では、もっと細かく表されている各検査点数で見ることもできますということでした。
確かに各検査点数を見たら、出来ることと出来ていないことにいくらか差がありますが、やはりそれほど大きくはありません。
やはり、広汎性発達障害はそれほど問題ではなく、今ままでの困りごとは軽度知的障害が原因だったのではと思いました。
今までいろいろなところで相談をしましたが、一度もそういった説明はありませんでした。
軽度知的障害の特徴と、広汎性発達障害の特徴にいくつか似ている面もあったりしますし、いつの間にか広汎性発達障害という分類がなくなり、自閉症スペクトラム障害に統合されています。
自閉症スペクトラム障害(広汎性発達障害)も現在基準になっている特徴は、男の人によくあらわれる特徴が基準になっていて、そのために女の人は障害があることを見逃されがちだとも言われています。
これからも、発達障害や知的障害については新しく解明されたり、診断名や診断方法も変わってくるのかもしれません。
診断名がついたことで福祉サービスの利用や障害基礎年金の受給、他の人に説明するときに便利だったりしました。
小学生の頃は診断名が欲しいと思っていましたが、今は診断名については深く考えていませんしこだわっていません。
人間ひとりひとりに個性があって、自分と他の人が似ている面があれば、全く違う面があるように、同じ障害でも人によって特徴が違ってきます。
娘という一人の人間の個性として考えると、障害の持つ特性や対処法は参考にはなりますが、障害の基準とされる決まった枠に全てが合致はしないので、娘という一人の人間として接しています。
これは、障害のない妹の場合も同じく一人の個性として接しているので、たまたま娘の持つ個性が障害に当てはまるちょっと難しい個性を持っているだけなのだと思っています。
IQ65という数字について
改めて分かったIQ65という数字を娘本人に知らせるのか、知らせるとしたらどうやって教えたらいいのか・・・
各検査点数で知識の点数が低かったのですが、これは中学、高校と学校に行けないことが多かったので、学校で教わるようなことが習得できていないためではないかと言われました。
例を挙げると、江戸幕府を作ったのは誰なのか知らなかったということでした。
徳川家康は小学校の社会の授業でも習うので、興味がなかったのではと思われます。
興味のないことはたとえテストにでるようなことでも全く理解しようとしないのです。
でも、新選組だったら局長が近藤勇だと知ってますし、副長が土方歳三というのも知っています。
一番組組長の沖田総司から、永倉新八、斎藤一の各組長も言えますし、初代の局長の芹沢鴨や参謀の山南敬助も知っています。
好きなアニメの影響なのですが・・・(笑)
WAIS-Ⅲの検査結果を聞いた後に、「検査の問題が新選組の問題だったらかなりいい点数だったのにね」と言って二人で笑いました。
江戸幕府を作ったのが徳川家康だと知らないと、世間に出た時に恥ずかしい思いをするかもしれません。
でも、好きな事について詳しく知ることで楽しみが増えて余暇を楽しむ時間も充実してくるし、同じ趣味を持つ人との会話も盛り上ってきます。
できれば世間一般の常識は知っておいた方がいいのでしょうが、「好きな事だったらたくさん知っている」ことで、生きていく楽しみを見つけられているのかなと思ったりします。
他にも、料理もできますしお弁当も自分で作れます。
お弁当は、冷凍食品は一切使わず、休みの日に自分でおかずを何種類か多めに作っておいて、一回分ずつ小分けしてラップに包んでジップロックに入れて冷凍して置いています。
夜のうちに解凍したものをお弁当箱に詰めて冷蔵庫に入れておいて、朝チンして持って行くので私が手伝うことは全くありません。
以前は私が仕事で帰りが遅くなることが多かったので、高校生の時から夕食の支度をよく頼んでました。
千円札を一枚渡して
「これで買い物をしてなんでもいいから作って。おつりはおやつを買ったりして好きなように使っていいから」
とお願いすると、冷蔵庫に入っているものを上手く利用したり、スーパーに行ってその日に安いものを探して買ってきて、上手く組み合わせて主菜、副菜、汁物までちゃんと作って、なるべく安い金額で買い物を済ませて、おこづかいがたくさん残るように頑張っていました。
いつも行くスーパーの商品の普段の金額と特売になっている金額の違いも分かっていて、なるべく特売品を狙うようにしているし、曜日によって何が安くなるかもちゃんと把握しています。
こういったことは検査の問題には出てこなくて、検査にはできていることが全て反映されてはいないので、IQ65という数字はあくまでも検査の目安として受け取っています。
娘本人にも
「IQ65だと軽い知的障害ということになるけど、検査の問題に出てこなかったことに得意なことが多いし、なによりも生きていく力は障害を持っていない人よりしっかりと持っているから、IQの数字はあなたの全てではないよ」
と話したら納得してくれました。
最後に
今回WAIS-Ⅲの検査を受けたことで、今までの診断を受けるまでのことや、IQ検査についていろいろ考えさせられました。
娘が「発達障害ではないか」と疑いだしてから10年以上の月日が流れ、その頃は「娘は発達障害です」と言ってもなんのことか分からない人がたくさんいましたが、現在はだいぶ認知されるようになってきました。
その頃はなかなか診断されなかったり、相談先も少なかったりして、自分たちで解決するしかない場合もありました。
そんななかでも小学校の先生や特殊支援学級の先生、特別支援学校の先生やずっと通っていた小児科の先生方にたくさん助けていただきました。
私自身も障害を持つ人についてなんの知識もなかったのに、娘の目を通していろいろな障害者がいることを知りました。
起きたことを悔やんだりせず、自分なりに受け止めて解決していく事で、また違った世界が見えてくるものだと感じるのでした。
*今まで発達障害は「自閉症スペクトラム」「ADHD」「学習障害」の三つの種類の障害があると思っていましたが、知的障害について調べているうちに知的障害も発達障害の仲間に含まれることがわかりました。
そのためにいくつか勘違いをして書いているところがあったので数か所訂正、加筆しました
(2020年2月15日現在)