アニメ好きな発達障害の娘との話題がない時の過ごし方は好きを共有がおすすめ

生活のことなど

毎晩、夕食の時間などに、広汎性発達障害(自閉症スペクトラム)と軽度知的障害の長女と、アニメを録画したり、ネット配信を利用したりして一緒にテレビを観ています。

シーズンの終わり頃になると、次のシーズンの紹介のサイトなどを見ながら、一緒に見たい番組を話し合って決めていきます。

 

夕食の時間は、今日起きた出来事を報告したり、感じたことを話し合ったりする時間にするのもいいのですが、毎日のこととなるとそう話題があるわけでもないのです。

アニメを観ながら感想を言い合ったり、登場人物の心情や、社会への関わり方などを話し合ったりすることで、自分の気持ちを言葉に表したり、状態を説明するのが苦手な娘の表現の練習になっているのかなとも思います。

どういったいきさつで、一緒にドラマやアニメを観るようになったのか話していきたいと思います。

 

好きなアニメのことしか話さない小学生のころ

 

娘は小学校の高学年くらいになると、次第に発達障害の特徴が強く現れるようになってきました。

会話の流れや相手の気持ちを無視して、自分の好きなことだけを繰り返し何度も話したがります。

 

テレビアニメの「ガンダム」が特にお気に入りで、録画したものを繰り返し観ては何度も登場人物のことを話してきました。

初めはよっぽど好きなんだなあ、と思って「そうなんだあ」と言いながら聞いていたのですが、普段の会話も「ガンダム」のことだけになってしまっているのは、どうしたものなんだろうかと思うようになりました。

 

私が別のことを話していても、会話の流れを無視して「ガンダム」の話になるので、会話が繋がらなくて、会話のキャッチボールにならないのです。

アニメのセリフも真似するようになり、日常の会話で使うと不自然な言い回しをするようになってきます。

家族の間だけなら「ああ、あのアニメのあのシーンのセリフね」とわかるのですが、家族以外の人の前でも使うので、変な顔をされたりしました。

 

学校に行って、友達に対しても同じようなことをしているようで、

「その話さっきも聞いたし、前も同じこと言ってた」

「私の話は全然聞いていない」

「そのアニメ見てないから知らないのに一方的に話されて困る」

などと言われて周りから嫌がられるようになっていました。

 

自分の好きなものをみんなが好きなわけじゃない

 

中学生になると、完全に周りから浮いた存在になり、仲間に入れてもらえなかったり、からかわれたりして次第に学校に行けなくなってきます。

「あなたが好きだからって言って、みんなも同じじゃないんだよ。いくら自分が好きで話すのが楽しくても、相手の気持ちを考えないと、相手も聞いていて面白くないよ。自分の話しを聞いて欲しかったら相手の話しも聞かないと」

この頃になると、それがどういう意味なのか理解できるようにはなってきましたが、じゃあ一体どうすればいいのかがわからずに困っているようでした。

 

家の中では相変わらず、こちらの都合は無視して好きなアニメの話しを熱心にしてきました。

そんな時は

「おかあさん、そのアニメ見てないから話の内容がよくわからないなあ、見ていない人にいきなり話しても理解できないよね」

と言ったりして

他の話題だと

「その話だと知ってるから分かるよ」

と答えていました。

 

そうやって、自分の話したいことを相手にどこまで話してもいいのか理解してもらおうと思ったのです。

それで、自分の好きなことだけを話しても、そのことに興味がない人にとっては聞いていてもつまらないのだとわかってもらおうと考えたのです。

それで、自分の「好き」を相手に押し付けたらいけないとわかったのか、それともどうせ理解してもらえないとあきらめたのか、だんだん一方的に好きなアニメの話しをしなくなりました。

 

学校には行けないけど大好きを誰かに話したくなる

 

高校生になると、学校にはあまり行けなくなり、ほとんどの時間を部屋に閉じこもって過ごすようになりました。

私が仕事に出かける昼間に出てきては、ご飯を食べたり、録画しておいた深夜に放送されるアニメを観て過ごしていました。

 

誰にも合わずに誰とも会話しない毎日でも、時たまリビングに出てきては家族とは普通に会話していました。

自分の心の中にたくさん溜め込んだ「好き」を誰かに話したくなったのだと思います。

今観ている大好きなアニメことをちらほら話すようになりました。

 

そのアニメは「乙女ゲーム」から発祥したアニメで、幕末を舞台にしていて、新撰組の浪士たちが出てくるものでした。

私も少し前に観た新撰組をあつかった大河ドラマが大好きだったので、新撰組を背景にした“乙ゲー”がどんなものなのか知りたくて、アニメの内容について聞いたり、アニメ雑誌を見せてもらったりしました。

小学生の時のように相手の状況を考えずに、一方的に「好き」を押し付けることはなくなりましたが、今度は自分の「好き」を理解してもらうために、アニメの話しをするようになりました。

 

でも、全部を話していたわけじゃないんですよね。

親に見られるのが恥ずかしくて、コソコソ観ていた番組もあったようでした。

 

アイドル育成アニメを隠れて観ていた!

 

長女は、高校(特殊支援学校)を卒業すると、不登校による昼夜逆転を改善するために、グループホームに入居して就労継続支援B型事業所に通うようになりました。

月に一度は休みを利用して自宅に帰ってきて、撮り溜めておいたアニメを一気に見ていました。

 

ある日、買い物から帰ってくると「しまった!見つかった!!」と言ってテレビを観ながら苦笑いしていました。

何が見つかったんだろうと思ってみて見ると、白い衣装を着た10人くらいの王子様のようなイケメン軍団が踊りながら歌っています。

アイドル育成ゲームから生まれたアニメだと言うことです。

 

そのイケメンたちがそれぞれ違った振り付けで躍る様子は、今までのアニメでは見たことのないような、リアルできめの細かいなめらかな動きで踊っているのです。

「この動きって、普通のアニメ作るのより何倍も絵を作って細かい動き出しているんでしょ?踊りのシーンに力が入っているんだね」

と言うと

「そうだよ!ぬるぬる動くからすごいでしょ!!金かかってるんだよ!」

と得意げに言ってきました。

 

どうやら今まで、アイドル育成アニメを熱心に観ていることを知られるのが恥ずかしかったようで、私がいない時を見計らって観ていたようでした。

でも、見つかってしまった後は、好きな時間に堂々と観るようになり、隠していたグッズも表に出すようになりました。

私にも誰が「推しキャラ」なのか教えてくれるのですが、正直言って母にはメンバーの区別が全くつかないので、教えてもらってもだれが誰なのか全然わからないのですが(笑)(アイドル育成系のアニメ好きの方には申し訳ないです)

 

「好き」を家族に理解してもらえると、なんだか表情が生き生きしてきて、楽しそうにしている時間が多くなってきたように感じます。

今ではグッズを買ったり、ライブビューイング(映画館でアニメのライブを鑑賞します)に出かけることが原動力になり、就労のための訓練も頑張れると言ってます。

アニメグッズを手に入れるために旅行の計画も立てて、一人旅にも行くことができました

 

“けいおん!”を一緒に観るようになる

 

それまでは、どんなアニメが好きなのかは教えてもらっても、一緒に観ることはありませんでした。

さすがによっぽど興味があったり、面白いと思えないと、大きくなった子供と一緒にアニメを観る時間はなかなか作れないです。

 

そんな時に、「けいおん!」を娘二人が仲良く観ていて、昔からずっとロックが大好きな私が、「けいおん!」のオープニングソングを聴いたのをきっかけに一緒に観るようになったのでした。

「“けいおん!”で使われてる曲ってカッコいいし、しっかり作られてるね、使ってる楽器や機材もリアリティーがあるね」

と言うと、まるで自分が作ったアニメであるかのように、誇らしげに「けいおん!」がいかに面白くて人気があるのかうれしそうに教えてくれました。

 

 

「好き」を認めてもらって、理解してもらうことは、とてもうれしくて誇らしくもあるようです。

それから、お互いに「これは面白そうだ」と思えるアニメがあると、一緒に観るようになりました。

 

最近では、新番組が始まるシーズンが近づくと、サイトで予告を見ながら、次はなにを観ようかと話し合って観るものを決めていきます。

 

一緒にアニメを観るメリット “好き”を味方につけると行動できる

 

アニメのシーンで心理描写が複雑な表現があって、こういった時の気持ちって理解できるかな?と思ったりすると

「これってどういった気持ちなのかわかる?どんな気持ちでこんなセリフ言うのだと思う?」

と質問すると、つっかかりながらも思いつく限りの言葉を並べて、登場人物の気持ちを代弁しようとします。

 

微妙な感情や、曖昧な言い回しの言葉の裏側が理解できないことがあるので、その時はできるだけわかるように説明したりします。

全部は理解できなくても、ほわっとした感じがつかめれば、アニメの登場人物やセリフや背景が記憶に残っていて、実生活の体験とピタッとつながってそのうち理解できるようになったりもします。

 

一緒に観ながら話し合うことで、苦手である相手の気持ちを想像することのいい練習になったりしているようです。

好きなキャラクターの“気持ち”だからこそ、深く理解しようと思うし、強く印象に残って実生活で応用できるのではないかなと思います。

「好き」を一つでいいからしっかりと持っていることで動く原動力になるし、「好き」を認められることは自信にも繋がっていくのだと感じます。

 

最後に

 

小学生や中学生の時に、自分の「好き」だけしか考えられなかったころ、本当は私だけでも「好き」を認めてあげて、同じ話でも何度も聞いて理解してあげた方がよかったのでは?と今になって考えてしまいます。

みんなに嫌がられても、一人でも理解してくれる人がいると分かると、それで安心できるのではと思うのです。

外では「気持ち」をセーブしても、家の中ではいくらでも「好き」を主張してもよかったのでは?と感じるのです。

 

でも「自分の好きなことをみんなが好きなわけではないんだ」と理解できないと、学校や社会で弾き出されてしまいます。

そのときは、何度言葉で説明してもなかなか理解できないようなので、具体的な形にして教えてあげる必要がありました。

この辺がとても微妙で、加減が難しいところです。

 

少し時間がかかりますが、発達障害の人は少しずつではあるけど、ちゃんと成長していって、しかもずっと成長し続けている気がします。

「好き」を味方につけて「好き」を認められた時の力はとても大きいと実感しています。

 

 

 

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