あなたには小学校の頃の登下校時の思い出がありますか?
「かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜」の1期の3話目に、「かぐや様は歩きたい」というストーリーがあります。
財閥のお嬢様のかぐやは、専属の運転手付きの車でしか登下校をしたことがありません。
でも、ある日突然自分の足で歩いて登校するチャンスが訪れました。
かぐやの初めての歩いての登校の様子から、自分の足で登校する大切さを考えていきたいと思います。(ネタバレ含みます)
「かぐや様は歩きたい」はこんなストーリー
かぐやは財閥の中でも、古くから続いていて国を動かす力を持つ旧財閥、四宮家の長女です。
お抱えの運転手の車の窓から、連れ立って歩いていく子供たちを見ながら登校すること2574回。
でも、ある日車のエンジンルームにノラ猫が居座って車が出せなくなり、生まれて初めて歩いて登校することになります。
「徒歩で学校に行けるなんてもうないのかもしれない」
このチャンスを無駄にしないために、御行の通学ルートや登校してくる時間をサッと計算して、偶然を装って待ち伏せする作戦を思い浮かべます。
すると、ふと見つけたのが横断歩道の前で泣いている一人の小学生。
ここで声をかけたら御行を待ち伏せできなくなるから急がなければ・・・
「なにか困っているなら手短に簡潔に言って!」
かぐやは、ぶっきらぼうながらも、やっぱり泣いている女の子を見捨てることはできなかったのです。
女の子は今までは集団登校だったのに、初めて一人で登校することになり、横断歩道が怖くて渡れないでいたのです。
「今まではイエティが手を繋いで渡ってくれた」
「イエティ?雪男?!」
ここで、画面の端っこを白い毛むくじゃらの大男がサッと横切って行くのが笑えます。
イエティは女の子の友達の「いえながちゃん」の愛称でした。
これからもう大勢で集まって登校できないことを不安に思い
「一人はイヤ!みんなと一緒がいい!!」
と泣きじゃくる女の子にかぐやはハッとさせられます。
「集団登校が終わったからって、別に一人で登校しないといけないわけじゃない。友達と待ち合わせするなり迎えに行くなりして、一緒に行けばいい」
かぐやは優しく諭します。
そこへ、イエティこといえながちゃんがやって来て、かぐやは仲良く手を繋いで学校へと向かう二人を見送ります。
気がつけばもう遅刻しそうな時間になっていました。
遅刻してしまうと、もう二度と歩いて登校などさせてはもらえません。
「私も一度でいいからやってみたかったんだけどな、誰かと一緒に学校へ・・・」
そこへ、血相を変えて必死で自転車を漕ぐ御行が通りかかります。
「こんなところでなにをしている?始業チャイムまでもう時間がないぞ!後ろに乗れ!!飛ばすぞ!!!」
かぐやの生まれて始めての、自分の足での歩いての登校は、忘れられない思い出になったのでした。
登下校の思い出(私の場合)
のどかな風景が残る◯十年前の登下校
私が通っていた小学校は、自宅から大きな通りを真っ直ぐ歩いて行ってすぐのところにある、子供の足でも10分ちょっとで通えるところでした。
登校は常にギリギリで家を出てダッシュで向かったので、10分かからない日が多かったです。
しかし、下校となると立ち寄らないといけないところが多すぎて、30分以上かかって帰り着くことがしばしば。
通学路のコンクリートの道路の道端に、割ときれいなドブ川が流れており、そこをのぞきながら小石を投げてみたり、笹舟を流して追いかけてみたりしていました。
秋には川沿いに生えているセピア色や黒褐色に染まってキラキラ輝く数珠玉の実を集めてみたり。
濃い緑色のクローバーが生い茂る空き地に座り込んで、四つ葉のクローバーをさがしたり。
小石を蹴って歩いてるとその小石が愛おしくなり、ずっと家まで蹴り続けて帰ったり。
今ではドブ川も埋め立てられて、クローバーの生えている空き地にはお店が立っています。
とにかく、下校はすることが多くて忙しくて、なかなか自宅までたどり着かないのでした。
いつまでも心に残る懐かしい思い出です。
(※注 学校が終わったら寄り道せずに真っ直ぐに家に帰りましょう。)
学校帰りに木から落ちて骨にヒビが入る
小学校二年生の頃のことです。
小学校の裏門から出たところの細い道路の両端は、60cm〜70cmくらいの土手になっており、上には登りやすそうな枝ぶりの木が並んでいました。
学校帰りに、よく土手によじ登って、横に伸びた木の枝にぶら下がりながら帰ることがありました。
雨上がりのある日、枝にぶら下がっていたら手を滑らせて、地面に真っ逆さまに落ちてしまいました。
「やってしまった!!」
と思ったと同時に左腕に激痛が走り、あまりの痛さにうずくまって動けなくなりました。
一緒に帰っていた友だちが
「大丈夫?大丈夫?」
と声をかけてくれたのですが、痛さですぐに返事ができずにじっと痛みをこらえていると、思いがけない出来事に対処できなくなった友だちは、パニックになってその場から走り去ってしまいました。
「立ち上がって歩いて家に帰らないと」
と思ったものの、痛くて立ち上がる気力が起きないのです。
うずくまったままひたすら痛みに耐えていると、話はしたことないものの、なんとなく顔は知っている近所の上級生が通りかかりました。
「大丈夫?どうしたの?」
と近寄ってきたので、木から落ちたことを話しました。
すると一人のお姉さんが
「この子知ってるよ、おうちもわかるよ」
と言って、みんなで抱えて家まで連れて行ってくれました。
家にたどり着くまでの間に
「大丈夫?痛くない?もうすぐておうちだから頑張ってね」
と声をかけ続けてくれたのがとても心強かったです。
なんとなくしか知らなかった上級生のお姉さんたちとの、グンと距離が近くなった出来事でした。
逃げていなくなった友だちは、後日めちゃくちゃ謝ってきました。
どうしたらいいのか分からなくなって、怖くなってしまったのだそうです。
子供たちが登下校から学ぶ大切なこと
小学校に入り学校生活を送ることは、机に座って勉強するだけではなく、様々な人と出会うことで、いずれ社会に出るための大切な学習になります。
登下校の形は住んでいる場所や、学校や地域の方針によっていろいろとあり方が違ってくるとは思います。
集団登下校にしても、友だちや上級生や下級生と集まるにしても、きょうだいで行動するにしても、バスや電車を利用するにしても、子供たちが自分の力で、自分の責任で行動する初めての体験だと思っています。
担任の先生や学級を離れての人間関係や、地域の人との繋がりも生まれてきます。
緑豊かな通学路では、季節の草花を目にしながら四季の移り変わりを感じることもあるでしょうし、賑やかな街の中なら、いろんなお店や会社などの人の動きを知ることができます。
私が経験したように、下校途中に怪我をするような、思いがけない出来事にも子供たちだけで対処しなければいけなくなるのて、そこにも学んでいくことがたくさんあると思います。
登下校の思い出(子供たちの場合)
学校まで7kmもある距離をどうするのか
私の娘二人の通う小学校は、自宅からから7km離れたところにあり、バスも通らない限界集落に住んでいたために、車で送り迎えをするしか登下校する方法がありませんでした。
かつて、同じ場所から学校に通った経験のある子供たちの父親に聞いたら、学校への行き帰りは全部車で送ってもらって、おかあさんがそのために車の免許も取ったということでした。
かぐや様ではないけど、登下校の経験が車に乗っているだけなんて、あまりにも味気なくて、だからといって歩いて通うにはあまりにも遠すぎます。
子供たちから、今しかできない貴重な歩いて登下校する経験を、奪ってしまってはいけないような気がして、どうしたものだろうかと考えてしまいました。
そこで思いついたのが、自宅から向かって学校まであと1kmと少しのところに、地元の人御用達の小さなお店があったので、そこまでを車で送り迎えして、あとは学校まで歩いて登校することにしました。
朝はお店の近くに車を停めてお友達が通るのを待って、誰か来たら合流して登校していました。
帰りは、テレホンカードを持たせておいて、学校の公衆電話から「今から帰る」コールをしてもらって、そろそろ待ち合わせのお店に着く頃を見計らって迎えに行っていました。
まだ、公衆電話が使われていて、テレホンカードが存在している頃のことでした。
広汎性発達障害と軽度知的障害をあわせ持つ長女の登下校は、全校生徒が30人程しかいない小学校で、1年生から6年生までがお互いをよく知っている関係だったので、高学年のお姉さんたちがよく面倒を見てくれて、なんの心配もなく子供たちに任せられました。
途中からの送り迎えの事情も、子供たちみんなが理解してくれていたので、待ち合わせ場所で私と合流するまで見守ってくれたりもしていました。
子供同士でお互いを思いやり、相手の立場を理解しながら安全に登下校をすることで、お互いに成長し合って行くのではないだろうかと感じられました。
学校帰りに捨てネコを見つけてしまう
几帳面でかたくなに決まりを守る長女は、そろそろ待ち合わせ場所に来るだろうという頃にはちゃんとたどり着いて、スムーズに連れて帰れました。
しかし、能天気で好奇心旺盛な次女の場合は、待ち合わせ場所で待てど暮らせどもなかなか来ない日が頻繁にありました。
痺れを切らして様子を見に行ったら、そのまま学校に到着してしまって、教室に行っても姿が見えないし、先生に聞いてもとっくの昔に帰ったと言われ、あっちこっち探し回ったら、通学路ではない場所で発見することがしばしばありました。
(※注 学校が終わったら寄り道せずに真っ直ぐ帰りましょう。通学路はきちんと守りましょう)
ある日のこと、やはり待ち合わせ場所で待っていてもなかなか来ないので、車を走らせて探しに行くと、友だちのきょうだい二人と三人で歩いて来る姿を見つけました。
近寄って行ってよく見ると、それぞれの胸元には両手で包み込むようにして、小さな子ネコが1匹ずつ大事に抱かれていました。
「それどうしたの?!」
と驚いて聞いたら
「捨てられていた、お腹が空いてミャーミャー鳴いてかわいそうだから連れてきた」
ということです。
頭を抱えて、とりあえず三人と三匹を車に乗せて、友だちの家まで送って行って、友だちのおかあさんと「どうしたもんだか」と呆れながら笑ったのでした。
(※注 学校帰りに捨てネコを拾わないようにしましょう)
その時の子ネコは今ではすっかりおじいさんになって、実家の母とまったりと過ごしています。
子供の数だけ登下校のストーリーがある
私が長女を言葉の教室に連れて行くために次女を迎えに行けない日に、学校の手違いで下校させられた小学一年生の次女が、待ち合わせのお店の前で2時間近く待っていたパプニングも起きたりしました。
その場所でいつも待ち合わせをしていることを知っていたお店のおばちゃんが気付いてくれて、迎えに行くまでおばちゃんにお世話になったこともありました。
毎日の二人のお迎えはなかなか面倒であり、しかも長女が三年生の頃に携帯電話の普及により、学校に設置してあった公衆電話電話が撤去されてしまいました。
毎日のように使っていたし、子供たちの帰宅時間が分かる手がかりになっていたのですけどね。
それからは、だいたいの目安で迎えに行くので、より一層待ち合わせ時間がずれることが頻繁に起こりましたが、子供たちが友だちと楽しみながら毎日歩いて登下校できて本当に良かったと思っています。
きっと、二人ともそれぞれの登下校の思い出を、たくさん持って成長していったのでしょう。
学校へ通う子供の数だけ登下校のストーリーがあり、それぞれにたくさんの思い出を心の中に大切に持っていることだと思います。
そう考えながら「かぐや様は告られたい」を観ていて、みんなが当たり前のように持っている思い出さえも自由には持てないかぐやの立場が、哀しくさえ思えて来ました。
でも、たった一日でも歩いて学校に行けて、それが大好きな人と共に過ごせたのなら、一生忘れられない思い出になったことなのでしょう。
これからの登下校のあり方は?
毎日、当たり前のようにみられる子供たちが学校に行ったり、家へと帰って行く風景も、ここ近年では決して気を許すことが出来なくなっており、うっかり一人で歩くこともできない世の中になってしまいました。
しかも、これから先は学校に行かないで学習ができる時代が来るのかもしれません。
もう、ランドセルを背負って連れ立って子供たちが歩いている、平和な風景は見られなくなってしまうことがあるのかもしれません。
時代の流れなので仕方がないのでしょうが、全てを合理的に済ませたり、便利さだけを追い求めるのではなく、たとえ無駄に感じられることであっても、心を豊かにするのには欠かせない体験もたくさんあります。
そういったものがきちんと残されたり、また新しい形で生まれてくることを願うばかりです。
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