発達障害の子供が小学校や中学校に進学する時に、普通学級か、特別支援学級か、特別支援学校か、どこを選択したらいいのかとても悩むと思います。
学力が基準になるのはもちろんですが、その子供の併せ持つ特性も判断材料になります。
持っている力や特徴は、一人ひとり違ってくるので、判断に悩むことが多くなってきます。
どこを選択するにしても大切なのは
「もしも子供がつまずいてしまった場合に、フォローする体制ができているのかどうか」
これを確認しておくことが大切になります。
広汎性発達障害と軽度知的障害の娘は、最近のWAIS-Ⅲの検査でIQ65だとわかったのですが、中学校に進学する時は知能検査は受けていませんが、多分同じくらいの数値であっただろうと思われます。
中学校に進学する際は普通学級にするのか、特別支援学級にするのかでとても悩みました。
「とても頑張る子」「周りに合わせられる子」だと判断して、特別支援学級に在籍しながら普通学級で過ごす選択をしましたが、頑張り過ぎたせいか途中で息切れしてしまったのでした。
小学校卒業前に担任の先生から意思確認があった
卒業を控えた六年生の三学期に入ってすぐのことでした。
担任の先生から、中学校に入ってからのクラスはどうするのか?と聞かれました。
娘の通う小学校は、全校生徒合わせても30人くらいの小さな学校なので、選択の余地なく普通学級で過ごしてきました。
今度、進学する中学校は1クラス30名余りの普通学級が2クラスと、特別支援学級があります。
娘は、確かにテストであまりいい点数を取ったことがありませんが、とても頑張る子なので学校の活動などではそこそこの成果を出していました。
クラスメイトとの会話のキャッチボールができずに、親しい関係にはなれませんでしたが、周りに合わせて行動できるので、クラスの一員として学級活動に参加していました。
できない事が多くて、みんなについていくのは大変でしたが、あきらめずにコツコツと努力して、なんとかついて行ってました。
“頑張ればできる子“と思っていたので、中学校に行っても普通学級でやっていけるだろうと考えていて、特別支援学級に入ることは、全く念頭にありませんでした。
そう担任の先生に伝えると先生はこう話されました。
でも、先生の話は「もしかしたらこうなるかもしれない」という、上手くいかない可能性があるという想定の話です。
普通学級でも、頑張ってついていける可能性だってちゃんとあるので、まずは普通学級で過ごしてみて、万が一ついて行けないようなら特別支援学級へ変更することはできないのでしょうか?
と聞いたら「実は‥」と打ち明けられました。
特別支援学級が無くなる?!
進学する予定の中学校の特別支援学級は、三年生が一人在籍しているのみで、一年生、二年生はいないとのことです。
そのために、三年生の一人が卒業してしまうと、在籍する生徒はゼロになるのだそうです。
来年度、特別支援学級に入る可能性のある生徒を確認してみたら、該当する生徒がいないので、在籍する生徒がいなくなると特別支援学級が無くなってしまうということでした。
担任の先生も、娘が普通学級で過ごすのは問題ないとの見解でした。
でも、これは“通常の場合なら“です。
万が一、やっぱり後になってついて行くのが大変だからとなって、特別支援学級に編入したいと思っても、特別支援学級は存在してないのです。
いくら必要になっても、来年度まで待たないと特別支援学級は設置されないので、その間に学校に行けなくなってしまい、不登校になったら取り返しがつかなくなるのです。
普通学級に行きたい理由①~友達を作りたい~
中学校では普通学級と特別支援学級のどちらに行きたいのか、両方のメリットとデメリットを説明した上で聞いたら娘は
「みんなが行く学級に行きたい、今まで通りの普通学級がいい」
と答えました。
「中学校に行って友達を作りたい」
というのが普通学級に行きたい一番の理由でした。
小学校では同級生は三人だけで、みんな女の子でした。
しかも、三人が三人ともスポーツ万能、成績優秀、向上心も高く常に上を目指している子たちばかりでした。
小さい学校だから少しできたら目立つのでは?と思われますが、中学校に行ってもそれぞれ学年を引っ張っていく存在になっていました。
先生方も、小さい学校の同じ学年に、優秀な子が三人も揃うのはなかなか珍しいとおっしゃってました。
その中に、生まれつき苦手が多くてのんびりとした娘がポツンと一人。
六年間よく頑張ったと思います。
決して三人からいじめられたわけではないのですが、ただでさえ空気を読めないばかりか、楽しく会話したくても、自分の好きなことだけしか話せないし、会話が子供っぽい娘が仲間に入るのは難しくなります。
卒業式が近づく頃に、全校生徒の父兄や子供たちが集まる懇親会がありました。
娘の同級生三人が、お菓子やジュースを囲んで、じゃれ合いながら楽しそうにお喋りしてました。
それを見ながら、三人のお母さんたちが
「この三人は微笑ましくて楽しそうだね、きっと中学校に行ってもこうやって一緒にお喋りして、二十歳になって成人式の同窓会では、お酒を囲んでワイワイ楽しむんだろうね」
と話しているのを聞いて
「同級生は三人じゃないよ!四人だよ!!仲間に入れていなくても存在を忘れないで!!」
と心の中で叫びました。
きっと、娘は六年間ずっとこんな想いをしていたのでしょう。
中学校に行ったらきっといろんな人がいるのだろうと思われます。
小学校の同級生の三人みたいに、なんでも器用にできて、駆け足で前をみている人ばかりではないので、娘と同じテンポの子もいるはずだから、たった一人でいいから友達と呼べる人が欲しかったのです。
特別支援学級を選択すると、たった一人のクラスになる予想になります。
交流学級でいくつかの授業を受けたり、ホームルームに参加したとしても、クラスメイトとは少し違った立場になるので、友達はできにくいのではと思われます。
普通学級に行きたいのには、今度こそ友達と楽しく学校生活を送りたいという、娘の切実な願いがあったからでした。
普通学級に行きたい理由②~刺激を受けて前に進みたい~
娘は、同級生と友達関係は作れませんでしたが、クラスの仲間として活動することでたくさんの刺激を受け、怖かったプールに入れて泳げるようになり、ダブルタッチもできるようになり、スポーツ少年団でバレーボールもしていました。
これらは、同級生が積極的にいろいろな活動に取り組んでいる姿に影響されて、引っ張り上げてもらいながら、果敢にチャレンジしていった結果になります。
担任の先生に
「娘がいることで、他の三人の足を引っ張って迷惑をかけていませんか?」
と聞いたことがあるのですが、それに対して担任の先生は
と答えていただいて、ホッとしたこたがありました。
特別支援学級では、決して無理することもなくて、安心して過ごせるのでしょうが、少しくらいは無理をした方が大きく成長できます。
これまでも頑張ってきたように、まだまだ伸び代がたくさんあるので、どんどんできることがあるのなら、挑戦していって欲しいのです。
本人も「頑張ったらできるんだ!」を体感していますので、もっといろんなことができるようになって、認められたいという想いを強く持っていました。
特別支援学級に在籍して普通学級で過ごす
こういった理由で、まだまだ可能性を伸ばしたいから普通学級に行きたいと担任の先生に話しました。
では、それだったら特別支援学級は無くなってしまい、いざという場合の受け皿が無くなってしまうのか?
担任の先生が、教育委員会や中学校の特別支援学級の先生に掛け合って下さって、一つの提案を出してくれました。
- 中学校に入学したら、ひとまず特別支援学級に在籍する。
- 学級での活動のほとんどを交流学級である通常級(普通学級)で過ごし、特別支援学級の担任の先生が、普通学級での授業の補助として入る。
ということでした。
なんと手厚い体制になるのでしょう!
これは、特別支援学級に在籍するのは娘一人だけだからできる体制です。
こんなに心強いことはありません。
希望いっぱいで中学校に入学したのでした。
からかわれて学校に行けなくなる
中学校に入り、授業は普通クラスで全部受けて、特別支援学級の先生が授業の補助に入る形が始まりました。
娘の他にも、授業について行くのが難しい生徒がいるので、その子たちのフォローも同時にできるので、まるでTT(ティームティーチング)のような体制でした。
これによって、授業は問題なく受けられているようでした。
そう・・・授業は・・・です。
小学校の同級生は女子ばかりで、男子と接する機会が少なかったのですが、中学校に入るとクラスの半分は男子です。
この年頃のほとんどの男女が異性に興味を持ち始めますが、娘も例外ではありません。
娘は「男の子が好き」という気持ちを隠せずに、大っぴらに口に出していました。
好きな男の子がいることを、親しい友達以外に知られるのが恥ずかしいことだというのが理解できませんでした。
クラスメイトが休み時間になると娘のところに来て、好きな男子の名前を聞きにきては面白がっていました。
しまいには上級生の男子に囲まれて、好きな男子の発表をさせられる始末です。
あっという間にからかいの対象になってしまい、やっと「恥ずかしい」ことに気がついて、口に出さなくてなっても、からかわれ続けるのです。
そして、期待していた「友達」も思うようにはできないのです。
とうとう心が折れてしまい、学校に行けなくなってしまいました。
特別支援学級の担任の先生が毎日会いにくる
学校に行けない間は、ほとんどの時間を自分の部屋のベッドの上で過ごしていました。
学校に行けないことが後ろめたいのか、私の姿を見ると頭から布団を被ってしまい、話しかけても全くの無反応でした。
特別支援学級の先生と私は、ずっと電話で連絡を取り合っていましたが、ある日先生から「お家にお邪魔してもいいですか?」聞かれました。
娘が部屋に閉じこもって、何を言っても頭から布団を被って話さえしようとしないことを担任の先生に話して、せっかく来ていただいても何の話もできない状態であることを伝えました。
そうしたら、先生は
「大丈夫です、無理に引っ張りだしたりとか本人の負担になるようなことはしないです。話ができないのなら顔を見るだけでもいいです」
と言うことなので、しばらくの間、自宅の方へ来ていただくことになりました。
先生が自宅に来て娘の部屋に入ると、娘は頭からすっぽりと布団を被り、先生を拒絶しました。
先生は、ただ顔を見たくてお話をしたいだけだと言って、無理に学校に来なくてもいいとからと伝えて帰りました。
翌日も先生は来られて、拒絶する娘の枕元に話しかけて帰って行く日々が続きました。
毎日、足を運んでいただいて申し訳ないと先生に言うと、
「娘さんがいないと私は何にも仕事ができないのよ、こちらに来て話をするのも仕事のうちですから心配しなくてもいいですよ、娘さんがたった一人の生徒だからできるんですよ」
と言われました。
そうするうちに、娘は次第に布団から顔を出して先生と話をするようになりました。
先生から「学校に来たら交流学級には行かないで、特別支援学級だけで学習しましょう」という提案があり、かなり心が動いたようですが、すぐには決心できないようなので、私も先生もしばらくは見守ることにしていました。
半年が過ぎた頃、娘の方から「学校に行ってみたい」と言い出して、それから少しずつ学校に行けるようになりました。
他の生徒の目をとても気にしていたので、授業が始まって生徒が教室に入って姿が見えない時間に学校に行って特別支援学級に入り、下校時間の前に迎えに行って自宅に帰ることで、だんだと学校に対する恐怖が薄らいできました。
二年生になる頃には、交流学級にも行けるようになり、特別支援学級に後輩が入ってきてにぎやかになったのでした。
最後に
中学校に入学する時点では、普通学級で大丈夫と判断していて、万が一何か起きた時のために特別支援学級への逃げ道も作っておきましたが、本当に万が一が起きてしまいました。
特別支援学級の生徒が娘一人だけという環境で、娘に合わせた支援をしていただいて、手厚いフォローをしてもらえたことで、再び学校へと行けるようになりました。
小学校の時の担任の先生が「もしかしたらこういうことが起きる可能性があるかも」だからと特別支援学級の選択を考えるように、とアドバイスしてくださったのは、娘の小学校でのクラスでの様子を見てたからこそ、こういったことが起こるかもしれないと危惧していたのでしょう。
あの時のアドバイスをきかずに、普通学級で大丈夫だからと判断していたら、そのままずっと学校には行けなかったかもしれないです。
娘は、小学校での体験から「頑張ればできるようになる」ことがわかり、いろんなことに挑戦してきましたし、頑張ってできるようになると褒められるのがうれしくて、周りの期待に応えるように努力したりもしました。
頑張ったことによって「できた!」体験はとても重要ですが、無理は禁物です。
特に、人に褒められることが目的になって頑張ってしまうと、自分の意思に反して努力してしまい、どうして頑張っているのか分からないまま、ただひたすら疲れるだけの結果になってしまいます。
娘が、学校に行けなくなったのは、クラスメイトからの“からかい“がきっかけですが、「頑張ればできる子」の期待を背負って疲れてしまったのも原因なのかもしれません。
厳しい環境で、前を向いて進むことも大切ですが、安心できる環境の中で落ち着いて過ごすことも必要なので、子供の状態を見極めた上でのバランスが大事になります。
そうは言っても、どこを選べばいいのかに「絶対にこれが正しい」という正解はないと思っています。
学校に行けなくなってしまうのなら、中学校に入学する時に、初めから特別支援学校を中心に過ごす選択をしていれば良かったのだろうか?と考えることもありました。
でも、もしそっちの方向で選択したとしても、また別の問題が出てくるのかもしれないし、普通学級を中心に選択すれば良かったのでは?と後で後悔していたかもしれません。
普通学級を選ぶにしても、特別支援学級を選ぶにしても、特別支援学校を選ぶにしても、悩んだ末に子供にとってこれが一番の選択ではないか?と出した答えならそれが正解だと思っています。
それでも途中でつまずいたのなら「仕方ないな」と方向転換すればいいだけです。
やってみないとわからないのですが、やってみて上手くいかなかった場合のフォローが一番大事になるのかなと思います。
「失敗しちゃったな」という結果になっても、意外にもその失敗もだいぶ後になってみると、ちゃんと経験として役に立っているので、失敗することも決して無駄ではないです。
子供のためを想って選んだ、子供の立場になって考えたのならそれが正解なのかなと思っています。
自分たちだけが良ければそれでいいのではなく、ちゃんと周りを見て進むのが遅れている人がいたら、フォローして引っ張って行って、一緒に進むことの大切さが学べます。
自分たちだけが中心ではなくて、いろんな人がいることを理解する必要があります。