発達障害や知的障害の人が、高校生活に馴染めなくて不登校でなり、留年してしまったらどういった選択をすればいいのでしょうか?
広汎性発達障害と軽度知的障害をあわせ持つ娘の場合は、特別支援学校に編入することで高等部を卒業しました。
娘は、中学校では特別支援学校に籍を置いていましたが、高校進学は、お世話になっている小児科の先生のアドバイスで、得意な事やや好きな事を生かすために、普通高校のマルチメディア科に進学することにしました。
しかし、入学式以降はほとんど学校に通えなくなってしまいます。
留年が決まった1年生の3学期、特別支援学校に編入することにしたのですが、学校からの後押しがもらえずに編入が難しくなりました。
私は、子供の学びたい気持ちを信じて、特別支援学校への編入の許可をもらうために、まるでモンスターペアレントのような行動に出たのでした。
中学を卒業したら進学はどうしたらいいのか?
中学校の特別支援学級に籍を置いていた娘も、3年生になりこれからの進路を決める時期になりました。
生まれ育った離島には、高校は公立の普通高校が2校あるだけです。
学校の勉強が苦手な娘でも、なんとかギリギリ合格ラインに入れそうでした。
なので、普通なら地元の高校を選択するのですが、中学1年生の時に学級に馴染めずに不登校になり、特別支援学級で過ごすことで再び学校に行けるようになったいきさつがあるので、特別支援がない普通の高校に進学するのは気がかりでした。
そんな時に、お世話になっている小児科の先生に
「高校は好きな事、得意なことを生かせるところにしましょう。この人は好きな事だったら続けられるし、力をだせますよ」
と言われていました。
日ごろからパソコンを使うことに興味を持っていた娘は、高校説明会に参加した時に、マルチメディア科のある高校が、パワーポイントを使って学校紹介をするのを見て「これがやりたい!」と思ったのです。
でも、地元にある高校にはマルチメディア科はありません。
そこで、島を離れてマルチメディア科がある高校に行くために本土へと引っ越すことに決めたのでした。
小児科の先生のアドバイスで家族みんなでの引っ越しを決める
小児科の先生に、本土の高校に行きたいことを話したら
「大変でしょうけど、できるのなら寮には入らずにお母さんが一緒に引っ越して、そこから通うのが望ましいです」
と言われました。
先生の話では
「掃除や洗濯、食事の支度などの家事をおかあさんに教わりながら覚えることが、これから先のためにとても大事で必要なことで、発達障害を持ちながら生きていくためには欠かせない経験です」
と言うことでしたが、これが具体的にどういう風に役立つかはこの時はあまり分かっていませんでした。
ちょうどこの頃は、旦那と別居していて私の実家に親子3人で居候していたので、3人で生活するために、また、私が仕事を探すために引っ越した方が都合が良かったのです。
そういう訳で、娘が進学する高校の近くに3人で引っ越すことにしました。
意気揚々と臨んだ入学式・・・でも行けなくなる
入学式には意気揚々として臨んだのですが、帰ってきてからはぐったりとして寝込んでしまい、翌日は起きてきませんでした。
慣れない場所に引っ越してきて、初めて行く知らない高校に行って、誰ひとり知っている人のいない中に入っていって緊張して疲れたのだろう。
最初はそう思っていましたが、次の日も、また次の日も布団から出てきませんでした。
実は、一緒に入学式に行った時に少し心配になったことがありました。
今まで通っていた島の中学校は、全校生徒合わせても200人弱の学校でした。
それが、入学することになった高校は、新1年生だけで500人近くいます。
入学式を行ったホールでは、ずらっと並んだ生徒の中にいったいどこに娘がいるのか全くわからなくて、後ろの席で参加するたくさんの父兄の中で、人酔いしてクラクラしていました。
入学式が終わり、担任先生の先導で自分の教室へと移動していきますが、生徒、父兄がそれぞれのクラスに分かれての大移動でした。
ざわざわして指示がほとんど聞き取れない中で、大勢の人ごみにもまれながら、ものすごい速足で移動する集団に、遅れないように必死でついて行きました。
広い迷路のような校内を、黒い頭と黒い制服がうじゃうじゃしている中で、背の高い副担任の先生の髪の少ない光る頭を目印にして、額に脂汗をかきながら追いかけて行ったのです。
私でもそうなのに、人混みや騒がしいところが苦手な娘はいったいどうしているのだろう。と心配になっていました。
こんなことなら、事情を話して入学式への参加を配慮してもらえば良かったのかもしれません。
ホームルームが終わり、娘と一緒に帰る時も、二人して迷いながらやっとの思いで校舎から出ることができました。
明日から一人で登校して、無事に教室までたどり着けるのだろうか?
まるで、小学1年生が入学するような心配をしていたので、入学式の翌日から学校に行けなくなるのも無理はないことだったのです。
クラスメイトと電話で話すようになる
みんなで引っ越しまでした臨んだ、娘の高校生活の出鼻は入学式でくじかれてしまいました。
いくら説得しても学校に行けずに悶々としていた時、私は担任の先生に呼びだされて学校へと向かいました。
担任の先生の話は、学校に馴染めない生徒を支援するための教室があるので、まずはそこに来てみませんか?といった内容でした。
その話を聞いて
「高校にもそんな教室があるんだ、助かる!ありがたい!!」
と一筋の光が見えてきたように感じました。
もう一つ明るいニュースがありました。
クラスにNさんという生徒がいて、その子が初日から来られない娘を心配しているので、連絡を取りたいと申し出ているのだそうです。
「よかったらおかあさんの方から連絡してみませんか?」
とNさんの連絡先を渡されました。
早速家に帰り娘に報告したら、うつろな表情で聞ていた娘の目が大きく見開いて輝きだしました。
はじめに私がNさんに電話をして話を聞いてみました。
Nさんは、中学生の時に不登校で学校に行けなかった時期があり、その経験がとても辛かったので力になりたいという話でした。
“捨てる神あれば拾う神あり”
と言ったらいいのでしょうか。
全然知らない人に対して「声をかけたい」言い出すのには、きっと勇気が必要だったのではないかと思われます。
ありがたいことに、そんな子が同じクラスにいたのです。
次第にNさんと娘は、電話で親しく話すようになりました。
そして、Nさんの付き添いで支援の教室に行けるようになりました。
支援教室には行けるのだがクラスには行けない
支援の教室の担当のO先生は、大らかで優しい先生でした。
落ち着いていてゆったりとした空間で、O先生に相談しながら、好きな教科を自分で進めて行きます。
Nさんもたびたび支援教室に遊びに来てくれていたようです。
学校に行けなくなってから、夜眠れなくて遅くまで起きている様子だったので、朝はなかなか起きれないでいました。
支援教室には遅れてでもいいから、来れる時間に登校してきていいということで、次第にあせらずにゆっくりと、支援教室に行けるようになっていきました。
しかし、しばらく経つと支援教室にも徐々に行けなくなっていきました。
「支援教室に行けてたのに、今度はなんで行かなくなったの?」
と聞くと
「だって、教室(クラス)にも行かないといけないでしょ」
と言います。
確かに支援教室は、あくまで自分のクラスに行くまでの仮の教室で、最終的にはクラスに行くのが目標です。
Nさん以外は全く知らない人の中に、もうだいぶ授業も進んでいるであろうクラスに、途中からいきなり入ることにためらっている様子です。
「今は、クラスに行くことはあまり考えないでいいから、とりあえず支援教室に行くことを考えてクラスに行くのは後で考えよう」
と言ってもそれではいけないと、本人が一番分かっているようでした。
高校は中学校と違って出席日数が足りないと、留年になってもう一度1年生をやらないといけないことは娘も知っています。
このままのペースでボチボチ支援教室に通い続けていても、いずれ出席日数が足りなくなるのは目に見えているのです。
「教室に、クラスに行かないといけないんだ」
それが分かっているからあせっててしまい、自分で自分を追い込んでしまって逆に動けなくなっているのではと思われました。
とうとう留年が決まる、特別支援学校を勧められる
学年が終わりに近づくにつれ、娘はほとんど学校には行けなくなり、とうとう留年が決定しました。
どう考えても、来年また1年生からやり直したところで、Nさんは進級して上の学年に行ってしまうし、1つ下の知らない生徒たちと関係を築いていくとなると、ますます登校できなくなるのではと思われます。
「単位制の自由な校風の学校を受験して1年生からやり直すか、それとも特別支援学校に行くのはどうですか?」
小児科の先生から提案されました。
単位制の普通高校の話をしたら、娘の表情が曇りました。
今の精神状態で、もう一度受験して、また新しい学校に1年生から行くのはかなりきついようでした。
そこで特別支援学校は、どんな感じなのか見学してみることにしました。
特別支援学校では、障害の状態によってクラスが分けられていました。
娘と同じくらいの軽度の知的障害や発達障害の生徒の教室でも、1クラスが10人ほどで、穏やかにゆっくりと授業が進められているのを見て、なんだかホッとしてしまったのは娘も同じだったと思います。
この頃はまだ、広汎性発達障害だと言われていただけで、軽度の知的障害があることは分かっていませんでした。
それでもやっぱり、普通高校に行くためにけっこう無理をしていたのではないかと、初めて気がつきました。
中学校に入学した時も、やればできるのでは?と思い、結局無理をして学校に行けなくなったのに、つい欲が出てまた同じあやまちを繰り返してしまっていたのです。
「ここだったら行けるかもしれない」
娘の口からその言葉が出た時は、一気に肩の荷が下りて、留年で落ち込んでいた気持ちがだいぶ 晴れてきました。
そして、これからは本当に障害者として生きていくんだと思うと、複雑な心境ではあるけれど、安心できて穏やかに過ごせるのなら、一番いい道なのだろうと納得したのでした。
特別支援学校は2年生からの編入でいい
特別支援学校の校長先生に「この学校で学びたいです」と伝えました。
新しい学校に入るので、同じ年齢の子たちから1年遅れて、1年生からやり直すのだと思っていました。
しかし校長先生からは、2年生からの編入でいいと言われました。
その方が、本人も1つ年下の生徒の中に入るよりも、同じ年齢の生徒と一緒の方がやりやすいし、学校の事情としても、新1年生に入るとなると定員オーバーになるので、2年生への編入だと受け入れられます。ということなのです。
願ったり叶ったりで、これで新しい気持ちに切り替えて、新しい一歩が踏み出せると希望の光が見えてきました。
編入の手続きは、特別支援学校の方で行うので、しばらく待っていてくださいとのことでした。
編入の許可がでない?!
娘も私も、すっかり特別支援学校へ編入するつもりで、体調や気持ちを整えて待っていました。
そんな時に、特別支援学校の校長先生から連絡が入ったのです。
「おかあさん、大変残念なお知らせです。私どもはぜひ娘さんに来ていただきたかったのに、在学中の高校の校長先生からの理解がもらえずに手続きができませんでした」
一体、どういうことなんだろう?!!
特別支援学校と、在学中の高校に詳しく聞いてみたらこういった事情がわかりました。
特別支援学校側は、編入で受け入れたいと申し出ているのですが、在学中の高校では編入は認められないからと、編入を許可するために必要な書類を出してくれないのだそうです。
高校の言い分としては、娘はほとんど授業を受けていないので、何一つ単位が取れていないから編入はありえないので、退学してから行きたいところへ再入学すればいいということです。
でも、特別支援学校としては再入学は定員オーバーで受け入れられない、特別支援学校には単位の制度はないので、単位が取れていなくても編入することに全く問題はない。
ただ、学校を移るための書類が欲しい、しかしいくら説明しても高校の校長先生が頑として書類を出してくれないのだそうです。
せっかく特別支援学校でやり直して、新たな道を探りたいと気持ちが固まっていたのに、しかも特別支援学校の方も入れると言っているのに・・・
直接高校の校長先生に会って話してみることにしました。
自分の言っていることがおかしいと分かっていてもモンスターになる
事前にアポを取り、在学中の高校の校長先生に会いに校長室へと向かいました。
校長室には、支援教室でお世話になったO先生も来られていました。
いろいろ話しましたが、何を言っても結局校長先生は
「あなたの娘さんは、全く授業に出ていない。これで編入しようなんて大間違いだ。編入はこちらの学校で取った単位を書いて出すものだから、単位のない生徒の書類は書かない」
の一点張りなのです。
私も
「なにも別の普通高校に編入したいって言ってるんじゃないんですよ。特別支援学校の方も単位はいらないから、事務的な手続きで移動するだけでいいと言ってるんですよ」
と説明しますが、ずっと平行線の言い合いで何一つ話が先に進まないのです。
そこで、考えていた奥の手を出そうと思ったのですが、O先生の前では絶対に言いたくないことなので、ためらってしまいます。
校長先生を説得するのになにかいい手がないかといろいろ調べて、残念ながら詳しいことを忘れてしまったのですが、確か高校の紹介の中で書かれていた学校の方針か、あるいは文部科学省の高等学校教育のための指導概要とか、そんなところで見かけた言葉を持ち出しました。
「生徒が授業を受けるのが困難な状態の場合は、学校は授業が受けられるように手だてを打たなければならない」
こういった内容だったと思います。
この文句を逆手に取ることにしたのです。
「娘は、広汎性発達障害のために、慣れない場所が苦手で授業に出られませんでした。
学校側も支援のための教室を設けていて、そちらには少しずつ登校できましたが、結局は行けませんでした。
よって、こちらの学校の支援では不十分なので、もっと手厚い支援ができる学校へと移りたいと思います。
“生徒が授業を受けるのが困難な状態の場合は、学校は授業が受けられるように手だてを打たなければならない”
とありますように、学校が十分に手だてが打てなかった責任を取って、速やかに特別支援学校に移るための手はずを整えてもらいたい」
と・・・まるでモンスターペアレントの言いようでした。
O先生が驚いた顔でこちらを見て言いました。
「おかあさん、私は娘さんが学校に来られるように頑張ったのに、そんな風に思われていたのですか・・・」
もちろん、そんなことは一度も思ったことなどないです。
学校に支援の教室があってありがたいと思ったし、O先生が娘に寄り添ってくれていて、なんとか教室に行けるように力を尽くしてくれていたこともよく知っています。
こんな自分勝手な言いがかりが通って、学校が動かせるとも考えていません。
学校に行けなかったのはあくまでも娘自身の問題で、選択を誤った私たちの問題であって、学校に責任はないのです。
でも、校長先生の一存で、書類一枚で特別支援学校に編入ができるのをあきらめたくないのです。
O先生の顔を見たら本音が出た
「O先生が十分手を尽くしてくださったのには本当に感謝しています。でも、結局行けなかったんです」
O先生に向かって、そこまで言ったら涙があふれてきました。
「こちらの学校に行けなかったのは、本当に残念です。
でも、それで終わらせるわけにはいかないんです。
娘は、学びたいんです。
こちらの学校が無理なら、別のところで、自分が行けるところで学ぼうとしているんです。
どうして子供が学びたい気持ちを踏みにじるのですか?
向こうの学校は来てくださいって言ってるんですよ!!」
恥ずかしながら、泣きじゃくりながら訴えました。
じっと聞いていた校長先生が
「少し検討してみます」
と言われたので、この話し合いはとりあえず終わりになりました。
どの学校を選択したらいいのか?迷った場合は
後日、特別支援学校の校長先生から連絡がありました。
「高校の校長先生が、出し忘れていた書類があったからと編入の書類が届きましたので、編入できるようになりました。4月からはこちらの学校に登校してください」
・・・忘れてたのかいwww
ともあれ、4月からは特別支援学校の高等部の2年生として登校することに決まりました。
この選択が果たして正しかったのかどうかはよく分かりません。
発達障害や知的障害を持つ人は、小学校、中学校、高校と進路を決める際に、普通クラスに行くのか、特別支援学級か、特別支援学校なのかとても迷うと思います。
本人や親の考え方、学校の考え方、本人の状態、支援の状態、いろんな状況によって選択肢が変わってくるかと思います。
たくさん考えて、いろいろなところで助言をもらって、悩んで決めた選択は、間違いじゃないと思います。
絶対にこれが正しいという正解は1つだけではないのですから。
たとえ後になって違ったかもしれないと気がついても、失敗してみないと、それが間違いだったことに気がつかないし、失敗してみてこの選択が違うことが分かったことも1つの収穫になると思うのです。
とは言っても、あとあと傷が残ってしまったり、立ち上がるのが難しい結果になるのは避けたいので、慎重に選ぶべきではあります。
娘は失敗を取り返すのにけっこう時間がかかってしまいました。
それでも、本人の「やりたい」気持ちを尊重して子供を信じていると、たとえ遠回りをして時間がかかったとしても、いい結果に繋がっていくのではと感じています。