次女の就職が決まったので喜んでいたら、就労のための訓練を受けている広汎性発達障害(自閉症スペクトラム)と軽度知的障害の長女が、次女の就職を喜べなくて不機嫌な日が続いていました。
お互いに心に閉まっていたことを思いっ切りぶつけ合った結果、長女の不平不満は幾分か収まったものの、相変わらず妹に対する不満や、社会に対する愚痴は続いています。
そんな時に忙しくてなかなかゆっくり話す機会がなかった次女と、じっくりと話し合う時間ができました。
私が考えたこと
卒業前で学校の授業が少なくなり、家にいる時間が増えた次女に、長女と思いっ切り言い合ったことを話しました。
次女は
「そんなに嫌われるようなことをしているのかなあ、気を付けてはいるけどつい忙しくて忘れてしまう」
持って生まれた性格はそんなに簡単には変わらないし、悪気があってわざとやっているわけでもないのですが「決まり」にこだわる発達障害の長女にとっては苦痛なのかもしれないです。
私も、次女がキッチンを使った後に、調味料の蓋が閉まってなかったり、袋に入れて野菜室に保管している野菜が冷蔵庫の中で丸出しになっているのを見つけて「イラッ」として「もう!」と言いながら片づけたりすることが多いのですが、しばらくすると「イラッ」としたことなどすっかり忘れてしまいます。
そこら辺が発達障害の長女と違っていて、長女は嫌な記憶をいつまでも抱えてしまう特性があるのかもしれません。
それ以前に、自分と妹を過度に比べたがることに対してずっと気になっていることがあったので、次女にそのことを話しました。
小さい頃からできないことがたくさんあった、いつもみんなの後ろを歩いていた
幼稚園までは、少人数のアットホームな雰囲気で、ベテランでおおらかな性格の先生のおかげか、お友達と楽しく遊んだり学習したりして、成長の遅れを気にすることもなく過ごすことができました。
小学校に入ったら、勉強でもスポーツでも遊びでも周りに追いつくのが大変で、いつもみんなの後ろを追いかけていく毎日でした。
「みんなと同じことをするのに、みんなよりもずっといっぱい努力していっぱい頑張っているから、ビリでも頑張っているビリだからエライんだよ」
と言ってきましたが、どんなに頑張っても目に見える結果が出ないのは、いくら頑張っていても辛いのではと思われます。
しかも、そこで無視されたりからかわれたりしたら、だんだんと卑屈になっていって無意味な自己主張をしたりしていました。
なんとか認められたいと必死なんです。
でも、逆にそれが原因で周りの人が離れて行ってしまいました。
妹に嫉妬してしまうのは過去のトラウマのせい?
妹が先に就職することにひがんでしまって、素直に喜べないでいるわけを、おとうさんに言われた
「就職できなかったら家に帰って来ておとうさんの身の回りの世話をすればいいよ」
ということを理由に挙げることで、どうしても思い出してしまう出来事があります。
発達障害の特徴が顕著に表れるようになった小学生の高学年の頃は、毎日のようにおとうさんに「障害を正してやる」と言われて、きつく叱られていたのです。
長女は小学生の頃、テレビがついていると興味がないような内容でも、コマーシャルでも食い入るように集中して見続けていました。
それなので、食事中にテレビがついていたりしたら、すっかり箸が止まってしまってぜんぜんご飯を食べないでテレビを見続けてしまいます。
「ほら、箸が止まっているよ!テレビを見ないでご飯を食べないと!!」
と声をかけたら慌ててご飯を食べ始めるのですが、ものの5分もするとまたテレビに見入ってしまいご飯を忘れてしまいます。
それが繰り返されるとおとうさんが激怒して怒鳴りつけ、しまいには手や足も出てくるのです。
それで、叱られて泣きながらご飯を食べるのですが、そんな状態でもまたすぐにテレビに集中して箸が止まって食べなくなってしまいます。
テレビがついているとご飯が食べられないようなので、食事の時間はテレビを消して食べ終わってからテレビをつけるようにしたらちゃんと食べられました。
おとうさんが残業で、食事の時間にいない時はそうやって平和に食事を食べられるのですが、残業がない時はお父さんがテレビをつけてしまいます。
「どう言い聞かせても、テレビがついているとご飯が食べられないみたい。テレビとご飯の両方は無理だからご飯の時だけテレビを消して」
とお願いしても
「仕事で疲れて帰って来るのにテレビも見せてもらえないのか?!」
と言って聞いてもらえないので、同じことの繰り返しになってしまいます。
とても強く叱られて、自分の部屋で机に突っ伏して泣いていた時がありました。
そしたら、おとうさんが隣の部屋で次女をからかって遊びだしたようで、長女が泣いている部屋まで二人の「キャーキャー」騒ぐ笑い声が響いてきました。
「おとうさんに叱られて泣いているんだよ、少しは静かにしてあげて」
と言っても笑い声がずっと響き渡っていました。
それからしばらく経った時のことです。
次女が慌てて私を呼びに来ました。
「おかあさん!大変だよ!おねえちゃんのゴミ箱が燃えてる!!」
紙屑がたくさんたまっていたゴミ箱が勢いよく燃え上がっていました。
慌てて火を消してから長女に「あなたが火をつけたの?どうしてこんなことをしたの?」
と聞いても呆然としているだけで何も答えません。
「ひょっとして、おとうさんと妹が楽しそうにふざけていたから頭にきて思わずやってしまった?」
と聞いたら「ワッ」と泣き出したのでした。
今でも思い出しては涙ぐんでいることがあり、この頃からずっと
「おとうさんとおばあちゃんは妹ばっかり可愛がってる」
としきりに言うようになりました。
今は、おとうさんやおばあちゃんはもう近くにはいないのに、いつまでも影響が残ってしまっています。
シンデレラなんかいないのです。
いじめられても一人で耐えて、純粋な心を持ち続けて希望を見続けるなんてことは難しいと思います。
みんながそうだとは限りませんが、虐げられた人間は人が信じられなくなって、卑屈な考えを持ってしまったり、自分に自信が持てなくなったりします。
次女が気がついたこと
こういったことがあったせいで、人と自分をくらべてしまい人の目ばかりを気にして、出来ないことが多い自分に劣等感を感じるので卑屈になってしまうのではないか?
そう次女に話しました。
「そうなんだ、そういうこともあるんだね」
もし、それが原因だとしたら私たちはいったいどう対処していけばいいのでしょうか・・・
そうしたら次女が
「でもね、おかあさん、そういった心の傷が残っているのかもしれないけど、お姉ちゃんってちょっと前まで私のこと大好きだったよね?」
「ん?!」
「!!!」
「そういえばそうだったね!!」
私は今の状態ばかりに気を取られ、昔の悪かった時のことを思い出して、すっかりといい状態だった時のことを忘れてしまっていました。
妹に対してイライラすることも多いのですが、妹のことが大好きで、B型事業所で旅行に行っても妹のお土産のことを真っ先に考えて一生懸命に選んでいる様子を見て、作業所の職員の方から
「よっぽど妹のことが好きなんだね」
と言われたことがありました。
B型事業所の運動会などの行事を次女と二人で見に行くと、うれしくてテンションが高くなった長女が
「これ、私の妹だよー!かわいいでしょ!」
と言いながら、作業所の職員や利用者に紹介するためにあちこち引っ張りまわしていました。
そうなんです!本当は妹が大好きだったのです!!
では、いったいいつから妹の行動をうるさく非難するようになったのでしょうか?・・・
「いつからだったっけ?」
「たしか、2年くらい前からかなあ・・・」
2年前と言えば・・・
次女が専門学校に行くようになって、学費のためにはじめたアルバイトが忙しくなって、空いている時間を有効に使うために友達や彼氏を自分の部屋に招き始めた頃です。
家にいる時間は友達や彼氏とずっと一緒で、同じ屋根の下にいながら次女との会話がグンと減りました。
買い物に行くにもいつも友達や彼氏とばかりで、親子三人で出かけることもほとんどなくなり、ましては長女と二人で遊びに行くこともなくなってしまいました。
私は、大人になっていく子供の当たり前の成長の姿と考えて、少し寂しいけど納得していました。
長女も、次女ほど頻繁には出かけませんが、休日を一緒に過ごす友達はいますので、全然問題ないと思っていました。
「もしかしてお姉ちゃん淋しいのかなあ・・・」
久しぶりに姉妹で買い物に行く
ということで、長女が以前から「洋服買いに行きたいから連れて行って」と言っていたので、次女と一緒に行ってもらいました。
出かける前から上機嫌でしたが、帰って来てからも嬉しそうで、妹に選んでもらった鮮やかな水色のカーディガンを披露してくれました。
私と二人で買いに行っても二人ともあまり選べない色なので、コーディネートも妹に教えてもらって、早速次の日に来て仕事に出かけました。
驚いたことに、その日以来あれだけ言っていた妹への文句を言わなくなり、妹の裏返しの靴下などを見つけたとしても
「みてみてーまた靴下裏返しに脱いでるよ、困ったねー」
と笑いながら靴下を表向きに返したりしているのです。
こんなにも分かりやすく変わるものかと、次女と二人で目を丸くして目配せをするのでした。
やはり、長女は淋しかったようです。
グループホームからやっと自宅に帰って来て、また妹と出かけられると思っていたのに、妹は学校とバイトで忙しくて、たまの休みは友達とばっかり行動している。
そういうイライラが溜まって、八つ当たりをしていたのかもしれません。
「こんなに喜んでもらって、機嫌も良くなるのなら時々一緒に出掛けようかな」
と次女も言っています。
私一人で考え続けると、自分の考えにガチガチに縛られて、簡単な事にも気づけないでいました。
次女のちょっとした思いつきでガラッと状況がひっくり返って
「こんな簡単なことで良かったのか!」
と目からうろこの出来事でした。
姉の課題と妹の課題
決してこれで長女のトラウマの問題が無事に解決したわけではありません。
1つのことが解決しても、また次の問題が出てきて頭を悩ますのかもしれないです。
でも、その時はまたその時に考えればいいことです。
1つ1つ丁寧に問題を考えていくことで、少しずつでも確実にいい方向へと進んでいくのだろうと思われます。
少し前に、同級生が不幸にも病気で若くして亡くなってしまいました。
子供もまだこれから大きくなっていくところなのに、思い残すことがたくさんあったろうにと考えながらも、自分にもいつ起こってもおかしくはないことじゃないかと思いました。
それでふと次女に聞いてみました。
「もし、お母さんが急に死んでしまったらどうする?」
「あともうちょっとで就職できるから、それまでガンガンにアルバイトしてなんとかして卒業できるように必死で頑張る、就職してお給料がもらえるようになったら安定するだろうから、それまでなんとかして持ちこたえるよ」
「お姉ちゃんはどうなると思う?」
「お姉ちゃんは、今、自立できるように訓練しているとこでしょ、おかあさんがいなくなったら私がおかあさんがやっていることを引き継ぐよ。それでお姉ちゃんが一人で生きていくための手伝いをするよ」
具体的には、これから就労するためにどんな訓練をしたらいいのか調べてお姉ちゃんに勧めていって、就職できて一人でやっていけるまでは、自分の住むところの近くに部屋を借りてあげて一人で生活してもらうつもりだそうです。
お姉ちゃんが就労出来たら、一人で家賃を払って一人で暮らせるように手助けをして、なにかあった時のために近くで見守っていくのだそうです。
次女がこれから働くところは転勤の多いところなので、職場にかけあって姉のサポートをするために転勤を免除してもらえないかな、と考えていると言うことでした。
そっか、じゃあそれならこれでもう思い残すことはない・・・
イヤイヤ、まだまだ元気ですよ!まだまだやりたいことたくさんあります!!
次女にはこれから就職して、結婚とか子育てとか次女なりの壮大な?計画があるようです。
まあ、定期的にコロコロと計画の内容が変わったりもするのですが(笑)
次女の人生は次女のものです。
姉の面倒を見ることになってしまって、壮大な計画が潰れてしまってはいけません。
しかし、家族として、人として姉を放っておくことはできないのだろうと思われます。
姉が自立して自分の道を生きるために、自分も時々姉を助けながら自分の道を生きていくのでしょう。
その自分の人生の片隅に、姉の独立を手伝うことを考えていたのでうれしかったです。
なかなか計画通りに行かないこともあるとは思いますが、次女は次女なりにお互いに負担にならない方法を必死で考えたことなのでしょう。
娘たちは、私がいてもいなくてもそれぞれの人生を歩いていくのだろうと思っています。