軽度知的障害者は居場所がない?特別支援学校高等部を不登校した理由

不登校

広汎性発達障害と軽度知的障害の娘は、普通高校のマルチメディア科に進学しましたが、慣れない土地で、体験したことがない規模の大きな学校に馴染めずに学校に行けなくなりました。

ほとんど登校できずに、単位が取れなくて留年が決まったのをきっかけに、特別支援学校へ編入することになりました。

同じような発達障害の子供が多く通っていて、少人数でのんびりとした環境で、手厚いフォローが受けられるにも関わらず、なぜか特別支援学校にもあまり行くことができずに、卒業まで自宅で引きこもり生活を続けていました。

 

その時は原因が分からなかったのですが、最近娘と話していたら、あの時に学校に特別支援学校に行けなかったのは、居場所がなかったからではなかったのだろうか?と気がついたのです。

 

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普通高校に合格したがほとんど行けなかった

 

ずっと通っていた小児科の先生の「得意な事や好きな事を生かしましょう」というアドバイスがあり、高校はマルチメディア科のある普通高校になんとか合格しました。

そこで、発達障害の長女と定型発達の次女と私の三人で住んでいた離島を離れて、高校の近くに引っ越して新しい生活を始めることにしました。

 

しかし、今まで住んでいた地域と大きく変わる環境や、初めて経験するマンモス校におじけづいたのか、娘はほとんど学校に行くことができずに留年が決まってしまいました。

再び小児科の先生に相談した結果、特別支援学校の高等部に編入することになりました。

 

 

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特別支援学校にもやっぱり行けない

 

普段は昼夜逆転していてなかなか朝早く起きれずにいましたが、特別支援学校へ編入が決まっての登校第一日目は、送迎のバスに間に合うように頑張って起きてきました。

一日学校で過ごして、帰りも送迎バスで帰ってきましたが、疲れてゲッソリしていました。

ずっと部屋の中で過ごして、朝はなかなか起きれずに目が覚めた時間に起きていた生活から、寝不足のままいきなり初めて行く学校で一日過ごしてきたので、疲れて当然だろうと思いました。

特別支援学校に行くようになって、娘が一番に訴えてきたのが

「バスの中がうるさすぎてものすごく疲れる」

ということでした。

送迎バスで学校に行くのは高等部の生徒だけではなくて、住んでいる場所の周辺に住んでいる小学部、中学部の子供も一緒に乗っていて、バスの中は常に大騒ぎで、音に敏感な娘には辛い状況でした。

学校の許可をもらってイヤホンで音楽を聴きながらバスに乗っていましたが、それでも辛いようでした。

 

送迎バスで登校しなくても、公共の交通機関を使って一人で登校することもできるので、電車とバスを使って一人で登校することで、送迎バスの騒音問題は解決しました。

学校まで距離があるので登校に時間がかかっていましたが、しばらくは頑張って登校していました。

しかし、また朝になっても起きてこなくなり、特別支援学校からも足が遠のいていき、再び部屋に引きこもって昼夜逆転の生活に戻っていきました。

 

どうして特別支援学校にも行けないのか?

 

普通高校に行けなくなって、特別支援学校へ編入するために学校を見学した時、ゆったりとした学校の雰囲気、1クラス6~7人で無理なく進められる授業風景を見て

「ここなら無理せずに行ける!」

とホッとしたのに、どうして行けくなったのでしょうか?

 

学校に行った日は、クラスメイトのことを楽しそうに話してくれるので、学校には馴染めていると思っていました。

担任の先生に聞いても「来たら楽しそうにしていますよ」と言われます。

娘はひたすら

「眠くてだるくて辛い」

と言っているので、普通高校に行けなかった頃からの昼夜逆転の生活習慣から抜け切れていないのが原因ではと思いました。

 

そこで、通院している病院から睡眠薬をもらって、夜の睡眠をしっかりとるようにしました。

睡眠薬のおかげで夜はぐっすりと眠れるようになったのですが、朝になっても死んだように眠り続け、お昼過ぎにやっと起きてきたと思ったら、フラフラとして足取りがおぼつかなくて“ろれつ”も回っていません。

睡眠薬が効きすぎるのです。

どんなに効果が弱い睡眠薬でも、飲んだ日は一日中意識が朦朧としていて、効き目の弱い抗不安薬でも同じような状態なので、薬で眠ることはあきらめました。

 

眠れない夜は、布団の中で遅くまでスマホを見たり、ゲームをしていたりするようでした。

「早く寝て、明日は早く起きて学校にいかなければ」

と思ってはいるものの、どうしてもスマホを見てしまっていつまでも眠れないと言うのです。

 

そこで、特別支援学校の担任の先生から

「家にいるとどうしても甘えが出てしまって、なかなか乱れた生活が改善されないので、思い切って環境を変えてみるのも一つの方法ですよ」

と言われて、先生の紹介するグループホームを見学して、しばらく家から離れてみることも検討しました。

 

娘は、一人家から離れて知らない人たちと知らない場所で生活をすることに、不安でいっぱいのように見えました。

私も、普通高校に行くのに失敗して留年になり、すっかり自信を無くして傷ついているところに、いくら娘のためとはいえ、厳しい環境に送り出すことに抵抗を感じていました。

 

そういう訳で、グループホームには入らずに、自宅から登校を目指しました。

特別な行事がある時などは、なんとか気持ちを奮い立たせて学校に向かうのですが、ほとんどの日は学校に行かずに自宅で過ごしていました。

 

夜、眠れずにスマホを見ているのは本当に甘えなのか?

 

娘は、

「なかなか寝付けないので、ついスマホを見てしまって、そのためにいつまでも眠れずに、朝になってもなかなか起きれない」

と言っています。

いつまでもスマホを見ているから眠れないのか、眠れないからいつまでもスマホを見ているのか、どっちなんだろう?と疑問に思いました。

 

私も何度も不眠を経験しています。

『朝、ちゃんと起きて学校や仕事に行きたいのになかなか寝付けない』

そういった時に布団の中でじっと目を閉じて、眠りに集中しようとすればするほどしっかりと目がさえてきて、眠れないことに焦りを感じてきます。

焦れば焦るほど、布団の中で悶々と過ごす時間はただ、ただ苦しいだけの時間で、そうなってしまうといっそう眠れなくなってしまいます。

私は、布団恐怖症になってしまい、フラフラになるまで眠くならないと、怖くて布団に入れなくなったこともありました。

そんな時に、スマホを見たりゲームをしたりすると、眠れない苦しさを忘れることができるのです。

 

家族が寝静まって、物音ひとつしない真夜中の時間に起きていると、世界中でたった一人だけで起きているような孤独を感じてしまいます。

そして、眠れない夜はものすごく長くて、時が止まっているのではないかというくらい時間が経つのが遅く感じます。

それなのに、眠れないまま朝を迎えて、窓にかかるカーテンの隙間から朝日が差してくると、とてもむなしくなってくるのです。

だから、そんな苦しい時間をやり過ごすために、スマホを見て気を紛らわすしかないのです。

 

眠りたくても眠れないのには、きっとどこかに原因があるような気がするのです。

でも、それが一体何なのかは、結局この時は分かりませんでした。

 

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障害者施設を利用して気がついたこと

 

娘が、なぜ特別支援学校に行けなかったのか分からないまま卒業を迎えました。

 

特別支援学校を卒業した後はどうするのか?

娘なりに考えて、

「グループホームに入って昼夜逆転の生活を改善してB型事業所で働きたい」

という選択をしました。

 

以前に、昼夜逆転を改善するために、特別支援学校の先生からグループホームに入る選択があることを教えてもらって、見学したことを覚えていたようです。

厳しい場所に身を置いて、半ば強制的に昼間動くことで生活を立て直したいと、本気で望んでいるのです。

 

そうして自宅を離れて、グループホームで過ごしながらB型事業所で働くことで、夜はぐっすり眠れるようになり、昼間に活動できるようになりました。

 

 

その後も、グループホームを出て自宅に帰ってきて、就労移行支援事業所や、チャレンジ雇用、失業保険をもらいながらのハロートレーニングやB型事業所を利用していくことで一つ気がついたことがあります。

どうやら、知的障害者が集る施設では、幼い行動を取る利用者に振り回されて居心地が悪いようなのです。

だから特別支援学校でも居心地が悪かったのではないのだろうかと・・・

 

特別支援学校には居場所がなかった

 

軽度ではありますが、娘もIQ65の知的障害者です。

高校で普通学校を目指したように、頑張れば健常者と一緒に活動できますが、あくまでも“頑張れば”です。

定型発達の人から見れば、行動が幼くてイラついたりして、いじめやからかいの対象になることもありました。

 

娘の通っていた特別支援学校は、2クラスが障害の軽い生徒のクラスで、軽度から中度の生徒のクラスが4~5クラス、重度、または重複障害のある生徒のクラスが2~3クラスありました。

娘は障害の軽いクラスにいましたが、クラスには小学部や中学部の時から特別支援学校に通う生徒もいれば、高等部から入ってくる生徒もいます。

 

娘のクラスには、中学校まで支援学級にいて、高校から高等部に入学した生徒が二人いましたが、二人とも特別支援学校のクラスでは小さくなっていて、居心地悪そうにしていた様子でした。

逆に、小学部や中学部からの生徒は、生き生きしていて元気に活動していて、クラスの中心になっていたようです。

 

軽度の知的障害だと、普通高校では劣等感で小さくなってしまい、肩身が狭い想いをして居場所が見つからないのですが、特別支援学校にも居場所がないのです。

そう言うとわがままに聞こえるかもしれませんが、それでクタクタに疲れて帰ってきて、体調を崩してしまうこともよくあるので、やっぱり我慢をしているのだと思います。

 

不登校をしていた頃に、学校に行けない原因が分からなかったのは、娘は自分に起きたことや。、自分の気持ちを説明するのが苦手なので、娘自身がそのことを上手く表現できなかったのかもしれないです。

もしくは、私が日ごろから「差別をしてはいけない、自分より弱い立場の人に優しくしないといけない」と言っていたので「嫌なことがあっても口に出したらいけないんだ」と思って我慢して言えなかったのかもしれないです。

 

・・・・・・ふぅ・・・・・・

 

軽度知的障害者のこれから

 

娘が普通学校を留年して、これからどうしようかと話し合っていた時に、小児科の先生から「高等特別支援学校」のことを教えてもらました。

知的障害者が受験をして入る特別支援学校で、一般就労を目指した授業が行われていて、卒業後はほとんどの生徒が作業所ではなく、障害者枠で企業に就職するのだそうです。

そうなると、入学するのはほとんど軽度の知的障害の子供になるのです。

しかし、その時はまだ設立されていなくて、開校の準備段階でした。

あともう少し早く開校していたら、受験するのになぁ・・・と小児科の先生と残念がったのでした。

 

最近では、まだ数が少ないのですが、軽度知的障害者を対象にした「共生コース」が普通高校にできています。

こちらも卒業後の進路は、障害者枠での一般就労が多いようです。

あの頃にそんな学校があれば、不登校することなくスムーズに学校に行けていたかもしれないなあ・・・などと思ったりします。

 

中度や重度の知的障害者は出来ないことが多くて、感情のコントロールがうまく出来なかったりで、本人も周りも大変なことがたくさんあるかと思います。

割とできることがたくさんある軽度の知的障害だと、できるから大丈夫だろうと無理をしてしまったり、空気が読めて周りの気持ちが理解出来たりして、それはそれで苦労することがたくさんあります。

知的障害での苦労よりも、精神疾患を抱えてしまう「二次障害」になってしまうことで大変な想いをします。

また、制度の狭間で宙ぶらりんな状態で、行き場所がなかったりします。

 

娘は、特別支援学校に入る時に療育手帳が取れたので、現在は福祉制度を利用できていますが、軽度なので障害に気がつかずに診断が遅れてしまって、療育手帳が取れなくてなんの援助も受けられない場合もあります。

健常者の中にも、知的障害者の中にも入りにくい“軽度知的障害者の居場所”が少しずつですが開けてきつつあるようで、軽度知的障害が社会で活動しやすい世の中になっていくのを期待するばかりです。

 

 

 

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